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アトランタ音楽シーンの伝説が死去、同氏の名を冠した“Alex Cooley Day”制定へ

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 米アトランタの音楽シーンが一人のレジェンドを失った。名コンサートプロモーターであり、現地では“アトランタ・ミュージックの非公式市長”として知られたアレックス・クーリー(Alex Cooley)が12月1日に亡くなっていたそうだ。75歳だった。

 アトランタ市長のカシム・リードと同市議会は1月4日、クーリーの元同僚や友人、ファン達とともに、市庁舎で行われたセレモニーで市の最高栄誉である【フェニックス賞(Phoenix Award)】を彼に授与し、1月4日を“アレックス・クーリー・デイ”とすることを宣言した。Atlanta Business Chronicleのフィル・W.ハドソンが伝えている。

 クーリーは1969年にレッド・ツェッペリンやジャニス・ジョプリンを目玉にした【第1回 アトランタ国際ポップ・フェスティバル(Atlanta International Pop Festival)】を計画・主催するため、17万ドル(約2,000万円)を集めることでキャリアをスタート。同フェスには翌年、ジミ・ヘンドリックス、B.B.キング、オールマン・ブラザーズ・バンドなどが出演した。その後、現ライブネイション・アトランタ社長のピーター・コンロンとConcerts/Southern Promotionsを設立したクーリーは、10年以上にわたってフォックス・シアターやオムニ・コロシアムをはじめ、ロキシーシアター、コットンクラブ、アレックス・クーリーズ・エレクトリック・ボールルームといった所有会場などでショーをブッキングした。

 また、1987年に【ジョージア・ミュージックの殿堂】入りしてからは、1994年に再びコンロンと組んで【ミュージック・ミッドタウン】フェスを創設。同イベントはそれ以来、断続的に開催されている。

 セレモニーでリード市長は、「アトランタにおけるクーリーの威光は何世代にもわたり生き続けるでしょう」とコメント。コンロンとアトランタ市議会議長のシーザー・C.ミッチェルは、人種差別廃止への関心が遅れるアメリカ南部での人種間関係を緩和させる役割を彼が担ったと強調した。ミッチェルは、「音楽は人種偏見がなく、誰からも愛されていることをアレックスは知っていました」と語った。

 コンロンは、「あなたは当時のレスター・マドックス州知事やリチャード・ニクソン大統領との闘いを覚悟の上、南部ジョージアでヘッドライナーに黒人を迎えるフェスティバルを開催する決意をした。その大変な苦労のおかげで、アトランタは有名になりました」と付け加えた。

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