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萩本欽一が「教科書のような人だった」と語る、コント55号の人気に火をつけた男 【ぼくたちの好きな土8戦争(7)】

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今でこそテレビのバラエティ番組の”主役”はお笑い芸人であるが、それは最初からそうだったわけではない。60年代後半、バラエティ番組の”主役”といえば、青島幸男や大橋巨泉、永六輔といった放送作家出身のタレントたちだった。「マエタケ」こと前田武彦もその一人だった。

『コント55号の世界は笑う!』の前身である『お昼のゴールデンショー』でコント55号と組んだのがその前田武彦。『お昼のゴールデンショー』は前田にとっても大きなチャンスだった。青島ら一緒に仕事をしていた仲間が次々とスターになっていくのを尻目に、前田はいわば”出遅れ”ていた。そんな中で、遂にお昼の帯番組という大役を掴んだのだ。

それだけに司会の自分のアシスタントに「コント55号」という”新人”が起用されると知り、大きな不安を抱いていた。せっかくの大きなチャンス。それを棒に振るわけにはいかない。スタッフはそんな思いを抱いていた前田を日劇の楽屋に連れて行った。コント55号と”面通し”をするためだ。

55号のふたりは、前田とスタッフのわずか数人の前で、臆することなくネタを披露した。得意の「演説」(別名「机」)というネタである。演説している萩本が演台の机のバランスが悪いことに気付き、その足を坂上がノコギリで切って調整する。だが上手くいかずどんどん短くなっていくというナンセンスコントだ。スタッフは爆笑していた。だが前田は「笑うというより、必死に演じる2人に心を打たれて黙って拍手」していたという。感動したのだ。

こうして『お昼のゴールデンショー』は1968年4月1日に始まる。ニッポン放送の隣にあった有楽町のビデオホールから1時間の公開生放送だ。当時、この時間帯はNET(現:テレビ朝日)の『アフタヌーンショー』が主婦層に人気を得て強力なライバルとして君臨していた。そこで『ゴールデンショー』はもう少し若い層をターゲットに、人気の流行歌手をゲストに迎えフルバンドの生演奏を披露。その合間にコント55号のコントを演じ、人気が急上昇していった。

前田武彦は、この番組の成功を機に同年11月から始まった『夜のヒットスタジオ』の司会に抜擢される。アイドルを泣かせてしまうほどの毒舌とあだ名付けの名手(うつみ宮土理の「ケロンパ」というあだ名もマエタケが付けたもの)という現在の有吉弘行を彷彿とさせる芸風で一気にスターの座に登りつめた。

萩本は前田について「僕の教科書のような人だった」と述懐している。まだペーペーだった萩本に「欽ちゃん!」と走り寄ってきて冗談を言ってくれたこともあったという。「こんな先輩になりたい」そう思ったそうだ。前田が2011年病死した際、「コント55号の人気に火をつけてくれて、もっと大きくなってお礼を言いたかったけど、どう考えても話しかけられるほど大きくなれてない。それほど大きい存在だった」と語っている。

前田も55号も『お昼のゴールデンショー』によってテレビの中心に躍り出る足がかりを掴んだ。そして遂にコント55号は「土8」枠に進出していくのだ。

(参考文献)『マエタケのテレビ半生記』前田武彦:著/「スポーツニッポン」2011年8月6日

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