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世界を股にかけた男の奇想天外幻想譚『ウィスキー&ジョーキンズ』

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 ロンドンのとある通りにそのクラブはある。ビリヤード・クラブという名前だが、ビリヤード台はない。それどころか見るべきもの、他のクラブが自慢しているようなものは何もない。ただひとつ、面白い話だけがあるのだ。ジョーキンズという古株の男がいる。世界をあちこち旅してきた男らしく、話の種をたくさん持っている。〈私〉は友人に誘われ、ビリヤード・クラブに出かけていく。その夜ジョーキンズは、アフリカを旅したときのことを話してくれた。その旅で彼は、アブ・ラヒーブと呼ばれる、幻の獣に出会ったのだ。

『ウィスキー&ジョーキンズ』(国書刊行会)の作者は、幻想文学の大家ロード・ダンセイニである。ダンセイニがジョーキンズ初登場作の「アブ・ラヒーブの話」を発表したのは1925年のことで、それから長きにわたって連作を書き続けた。

 巻末の訳者あとがきによれば、生前に作品集が5冊、死後の2002年になって未収録作品を集めた第6集が刊行されたという。日本国内では1982年に『魔法の国の旅人』(ハヤカワ文庫FT)が出ているが、これは荒俣宏による日本独自編纂の短篇集だ(ご存じのとおり、荒俣の翻訳者としての筆名、団精二はダンセイニをもじったものである)。同書の収録作は11篇。本書が23篇で収録作に重複はない。厳密に言えば、『魔法の国の旅人』には「アブ・ラヒーブの話」の一部が序文として収められているが、今回は完全版なのでまったく同じではない。つまり、編訳者こそ違うが、33年ぶりの正統な続篇というべき内容なのだ。新たな編訳者である中野善夫の執念の賜物である。

 作品をより深く楽しんでもらうために、ということで中野善夫のジョーキンズ・シリーズやダンセイニについてのトリヴィアルな話題を紹介するコラムも同時に収録されており、初めての読者でも無理なく作品に溶け込むことができる。渾身の力を揮って書かれたと思しき訳者あとがきと併せて、ぜひコラムも読んでいただきたい。

 お話の基本は、ビリヤード・クラブで他の会員たちの会話を聞きつけたジョーキンズが「では、その話をしよう」と語り始めるという形式になっている。

 その内容は多岐にわたっており、一攫千金を夢見てインドのとある海岸にたどり着いたジョーキンズが見聞したことを綴る「真珠色の浜辺」のように世界中を放浪した者ならではの多彩な体験談、前出の「アブ・ラヒーブの話」や「象の狙撃」のような幻獣との遭遇を描いたもの(中でも驚かされるのは意外すぎる生物に彼が追跡されることになる「リンガムへの道」だ)、何百年かに一度現れて託宣を下すという神秘獣に彼が出会う「スフィンクスの秘密」や転生の物語「徴(サイン)」(どちらも皮肉極まる落ちが素晴らしい)などのオカルティズムの芳しい香り漂う作品、「魔女の森のジョーキンズ」や「夢の響き」などの美しい光景を描いた幻想譚など、それこそ幻想小説の見本箱のようである。これならば、どんな嗜好の読者でもお気に入りの作品を見つけられるだろう。

 中には税金を払いたくない一心で古代の音楽を演奏し続け、税務署員に滂沱の涙を流させて追い返そうとする「流れよ涙」のような珍妙な作品もあり、笑いの要素も豊富である。私のお気に入りは「薄暗い部屋で」で、結末には本当にびっくりさせられた。こういう落ちの作品は他に読んだことがないように思う。

 さらにおもしろいのは、ビリヤード・クラブの中にジョーキンズのおしゃべりが気に入らない者がいて、あの手この手を使って彼が話し出そうとするのを妨害しようとすることである。そして、その企みは成功することもあり、ジョーキンズがついに最後まで話さずに終わってしまう作品もあるのだ。よく考えてみると、ジョーキンズは第三者にはおもしろい男だが、クラブ員にとっては、どんな話でも「あ、それはね」と引き取って話してしまうお節介者なわけであり、迷惑に思われても仕方ないだろう。現に彼のことを単なる法螺吹き扱いする者もいて、しばしばジョーキンズを憤慨させている(そのへんのやりとりや、題材ごとのゆるいつながりを十全に楽しめるように作品は配置されている。編者の功績である)。

 ではいったいジョーキンズとは、未知の世界を旅してきた冒険者なのか、それとも単なる思いつきで人を煙に巻く二枚舌男なのか。いや、なんならすべてが酒場の法螺話であってもかまわない。これだけおもしろい話をたくさん聞かせてくれるのだから。ジョーキンズの物語はまだまだ未訳分がたくさんあるらしい。ぜひとも続篇を。今度は30年なんて待たされないことを祈るのみである。

(杉江松恋)

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