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Taiko Super Kicks、全編アニメーション「メニイシェイプス」MV公開 1stアルバム収録曲

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Taiko Super Kicksが楽曲「メニイシェイプス」のミュージック・ビデオをYouTube上にて公開した。同曲は、彼らが先日リリースした1stアルバム『Many Shapes』の表題曲。

「メニイシェイプス」のビデオは全編アニメーションで作られており、ソーシキ博士が制作を手がけた。なお同作は彼らにとって初のMVとなっている。

またアルバム発売に伴い、Taiko Super Kicksと関わりの深い、oono yuuki、nakayaan(ミツメ)、花枝明(nohtenkigengo)、麓健一などがコメントを寄せている。さらにレコ発ツアーの開催も決定しており、ツアー・ファイナルは3月10日(木)に渋谷WWWにて、井手健介と母船を迎えて行われる。これらの情報もあわせてチェックしてみよう。(鶯巣大介)

Taiko Super Kicks / メニイシェイプス

https://youtu.be/Ywr3MxCsOoE

・Taiko Super Kicks オフィシャル・サイト
http://taikosuperkicks.tumblr.com

・Taiko Super Kicksの作品はOTOTOYにて配信中
http://ototoy.jp/_/default/a/124915

・コメント

■ehara mei / may.e

彼らとは長い付き合いで、ヴォーカリストである伊藤君から、この「Many Shapes」という単語や同義のイメージを長く聞かされていました。 その名の通りこのアルバムは、数え切れないほどの形が存在するその中から選び抜かれた、Taiko Super Kicksなりのパッケージということになります。 前作「霊感」の段階でも、そのイメージをまとめ上げるための研究がなされていたのもよく知っています。 このアルバムはようやくそれをまとめることに成功したということなんでしょうか? わたしはそうは思いません。なんでも必要なものが全て納まっていたためしはありませんから、きっとこれは永遠のテーマなんでしょう。 1stアルバムとしてこのテーマが披露されたことを、わたしはとても嬉しく思いました。なんせとても難しいテーマです。 アルバムを何度も聴いていました。歌詞はいつも文学的で面白く、伊藤君は日常の日常さを切り抜くのが上手です。楽曲は内容からその研究過程が垣間見えてきます。 同年代であるからこそ共感できるポイントが、とても無意識的に散りばめられていて、どことなく懐かしくもあります。 そういえば、「何もない」ことや「けだるい」こと、「ありきたり」であるとういことも、「Many Shapes」と同じような気がしませんか。 物足りなさやありきたりさでいっぱいの私たち人の生活に馴染んでくる、共感の心地よいアルバムだなと思っています。

■oono yuuki

部屋で、外で、何度も聴きました。「別れ」という曲が特に好きで、大好きな『レポマン』という映画のエンディングを思い出しました。声もギターもベースもドラムもとても気持ち良く響いていて、最高です。

■nakayaan(ミツメ)

タイコの曲はのろいのでまず寝る。そしてハッとする。 丁寧に選んだ音によるアンサンブルの上に、音響的な細かいアプローチが随所にみられる、ということに。(例えば、「メニイシェイプス」の2番に入る前のGtで左から右に効果的にパンがふられる等) また、歪みのドライさが、ハイファイとローファイの間をいくような塩梅で緻密に仕上げられている、ということに。 また、8曲目の「ラフ」のテンポ感や音数、素っ頓狂なカウベルが最高に気持ちがいい、ということに。 また、アキサトくんのvocalは地声でとても高い、ということに。 なんだか雑になってきたが、彼らの音を聴いていると、浮遊感は細部に宿るということを実感できる。 初のフルアルバムリリースおめでとうございます。

■花枝明(nohtenkigengo)

高校生の頃に日本のロックバンドのCDを買ったときのような、 わくわくする気持ちを久々に味わいました。 思考が単純になり、 視界をくっきりとさせてくれるような作品です。 これからのことが考えられなくなってしまった人も、 きっとこのアルバムを聴くことで、未来が見えてくると思います。

■矢島和義(ココナッツディスク吉祥寺店)

音楽が流れる。静けさがやってくる。景色がスロウモーションになる。ひとりになる。個人になる。 タイコスーパーキックスの新しいアルバムを聴いている間だけは、ぼくも/あなたも“メニイシェイプス”のままでいられる。

■麓健一

オルタナという言葉もいつの間にかカレー味のような言葉になって久しい。私は1999年のペイヴメントをフレーミングリップスをセバドーさんを2000年のヨ・ラ・テンゴちゃんを2001年のソニックユース御大を柵にかぶりつき時に宙を舞いながら見ていた元ティーン。紙吹雪、汗まみれのバンドT、くしゃくしゃのセットリスト、ミラーボール、チケットの半券、きらめきは至る所にあって。一日の終わりに捧げる祈りの中で彼らの顔を10秒念じるのが私の憧れを留める儀式だった。いつの時代のおっさんも「あの時代はよかった」なんて遠い目をして呑んだくれている。でも今のTaiko Super Kicksがいる場所はもっと荒廃した地ではないだろうか。誰かの人生を変えてしまった小さなプラスチック盤が不要品回収されるショッピングモールで流れ出すの「愛だけが同じさ それ以外全て」。 皆が帰った劇場みたいにあたしは響いてる。

干支もずいぶん違う彼らが、なぜこの伝統芸能ロックバンド形態を選んだかわからない。でもしばらく聴いていればメンバーの背後に広がる豊かな音楽ライブラリーと鍛錬がわかるはず。カレー味の向こうに隠された太古の仙人の妙薬、異国で手渡された謎の調味料。それを彼らは軽やかに見事に落とし込んで。ここでふと台地という風景が頭に到来。山でもなく、タワーでもなく、台地。Taiko Super Kicks=台地。この荒野に突如現れた小さな台地。なんというシェイプ、なんという質感。ジョニーが人類の遺産リストに「ダンススタイル」を掲げたこと、遠い北の国に同じく「Super」を掲げた素敵なレーベルがあったことを思い出す。あの伸びやかな「すーぱー」。すーぱーやねん。 「センスが良いわね」「時代だね」ってしたり顔で広告屋が言うけれど一体「センス」ってどういうことかしら。容れ物と内容。我らはただお互いの嗅覚を競っているだけ?そしてその果てに枯れて懐メロになるのかしら。このフレーズ、このトーン、ベーシストのちょび髭、幾つものかけらたち。そういったもの全てを抜け毛と共に忘れてしまう?それこそがポップソングの宿命じゃないの?メトロポリスであの台地はどうなっているの? そんな取り越し苦労をかき消すようにあたしはもうこの音に溶け合って踊り出しているの。それぞれの誠実さのあり方を讃えながら。遠く離れて、すきまにもろく滑りこんで。メニイシェイプスのひとつになりながら。

■嵯峨山諒(carpool)

バンドがはじまった頃ライブを見て、良いバンドだなと思い、録音もちょくちょくさせてもらったりとかで、結構長い付き合いになりますが、こうしてアルバムという形で彼らの音楽が聴けて嬉しいです。昔から良いバンドですが、ちょっと目を離した隙に本当に良いバンドになっていました。良い音、かっこいい演奏。これまでのことも、これからのことも思い出させてくれるような、さわやかな作品。大げさじゃなく素直なところがとても好きです。とてもあざやかで、みずみずしい通過点だと思う。

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