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燃え尽き症候群の「私」の職探し〜『この世にたやすい仕事はない』

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「この世にたやすい仕事はない」とは絶対的な真理と言ってよいのではないか。例えばおすすめの新刊本を紹介するこの仕事、ノープレッシャーでほとんど趣味のようなものだと思われていることだろう。そんな仕事でさえも苦労と無縁ではない。あまたある新刊書の中から企画に沿った本を選ばなければならない、言いたいことにぴったりの表現を見つけなければならない、〆切に間に合わせなければならない(すべて自分のスキルを上げれば解決することではあるが…ごほごほ)。ちなみに会社員として働いていた頃は、職場の人間関係がたいへん良好で学生時代より楽しいくらいの気持ちで勤務していたのだが、業務内容には最後まで興味を持てなかったことが心残りであった。仕事のやりがいとしては「希望の職種である」「職場の雰囲気がよい」「報酬がよい」あたりが主だったものかと思うが、そのどれもない状態で働いている人だっていくらでもいる。

 主人公の「私」は三十六歳・女性。燃え尽き症候群のような状態になって退職し実家で療養していたが、いつまでもぶらぶらしているわけにはいかないと思って職探しを始めた。働きたいのか働きたくないのかわからないまま、「一日中スキンケア用品のコラーゲンの抽出を見守るような仕事はありますかね?」とダメ元で相談員に問うたところ、帰ってきた返事は「あなたにぴったりな仕事があります」というものだった…。

 およそ一年の間に「私」は、相談員の正門さんに紹介されてさまざまな仕事を経験する。最初が「コラーゲンの抽出を見張るような仕事」という希望に近い(?)、在宅で仕事をしているひとり暮らしの小説家の生活を監視する仕事。次が循環バスにアナウンス広告を出したい店などの売り文句を決められた字数の中で考える仕事。その次がおかきの袋裏に印刷される豆知識系の話題を考える仕事。そして店舗や民家などを訪ねてポスターの貼り換えをする仕事。最後が大きな森の小屋での簡単な事務の仕事(具体的には、小屋に一日中詰めているだけでよいのだが、それだけではしんどいだろうから展覧会のチケットにロータリーカッターでミシン目を入れ、それに飽きたら周囲を散策し何か見つけたら地図に書き込むという仕事)。これらの業務が実際に行われているものかどうかはわからないが、私だったら「やってみませんか?」と言われれば明日からでもやってみたいと思う仕事ばかりだ。特に興味を引かれるのはおかきの仕事(会社員時代に広報誌の豆知識コーナーの原稿を2回ほど書いたことがある)。

 しかし「私」は、それぞれの仕事に手応えを感じながらも最終的には離職してしまう。雇用側の事情が理由という場合もあるのだが、「私」自身の都合による場合もあって、部外者からすると「せっかくの働き口なのにもったいない…」と思うケースもあった。しかし、大学卒業以来十数年続けていた仕事を消耗しきって辞めた「私」にとっては、再び働こうという気持ちになったこと自体、そしてひとつの職を失ってもまた次にチャレンジしようと思うこと自体がどれだけ大きな決断だったかと考えると、自分の共感は足りていなかったなと読了後に反省させられた。初めの方では働くということに対してやや受動的だった「私」が、物語が進むに従ってもう一度仕事というものに向き合おうとしていくさまは感動的である。淡々と描写されているだけに、より胸に迫るものがあった。やっぱり働くって人間に必要なことだな。希望通りの仕事にしろ意に染まない仕事にしろ、どんな仕事に就いていてもまずは働くという行為そのものが尊いことだと誇りを持ってもらえればと思う(麻薬の密輸とかオレオレ詐欺の受け子とか、犯罪行為はまた別の話)。現在いろいろな事情で働くことが難しい人には、そのうち再び機会がめぐってくることを切に祈る。

 著者の津村記久子さんは、働くことの意味を常に考えてこられた作家だと思う。ご自身が初めて就職した会社を上司のパワハラで辞められた経験が影響しているであろうことは、インタビュー記事などからもうかがえる。つらいストーリーではあるのだが、深刻さをカバーするユーモアにあふれた文章が絶妙。悩みを抱えながらツッコミも疎かにはしない「私」の姿に、人生に必要なことは”勤労意欲”と”笑いのセンス”だということを教えられた。

(松井ゆかり)

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