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大谷昭宏氏 故・黒田清氏から盗んだものと盗めなかったもの

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 人生には忘れることのできない存在が必ずいる。今の自分を作ってくれた恩師の姿は、温かな記憶とともに甦る。ジャーナリストの大谷昭宏氏(70)が、「黒さん」と呼んで慕った恩師について語る。

 * * *
 今年大きな話題となった安全保障法案関連の取材をしていた時も、ジャーナリズムの世界における黒田清さん、本田靖春さん、筑紫哲也さんの3人の存在がいかに大きかったかを痛感しました。私たちの力不足もあるのでしょうが、3人が生きていてくれたらもう少しまともな論陣を張ることができたんじゃないかとね。

 中でも黒さんには特別な思いがあります。黒さんと出会って、いい意味でも悪い意味でも私の記者人生は変わった。あの人が会社とケンカを始めなければ、私ももう少し読売新聞内部で出世していたかもしれない。ジャイアンツのGMとかね(苦笑)。あれが良かったのか悪かったのかわからないが、黒さんと行動を共にしたことで面白い人生になったことは間違いないけどね。

 読売では黒さんも私も社会部しか経験がありません。私が徳島支局から大阪本社の社会部に上がった年に、黒さんが最年少の社会部デスクになった。そして「黒田軍団」と呼ばれるようになった。

 軍団といっても、新聞記者は落語家のように師匠から弟子が芸を学ぶものではなく、こっちが勝手にいいところを盗むという関係にありました。黒さんはジャーナリストとして、文章の巧さでは日本で五指に入る名文家だった。その黒さんと朝刊社会面のコラム『窓』を2人で書いていたので、そこはしっかりと盗ませてもらいました。

 そして企画力も大いに勉強になりました。我々が読売新聞を退社した直後の1987年5月に朝日新聞阪神支局襲撃事件があったが、「黒さんがデスクならどんな紙面にしますか」と聞いたことがある。すると、黒さんは「読売新聞の紙面で朝日新聞の連載をやるんだよ」といってのけた。

「目から鱗が落ちる」とはこのことだった。朝日新聞も驚くだろうが、読売新聞の読者はもっと驚いたに違いない。普段は酒を飲んで、カラオケと女性が大好きな普通のおっさんだったが、とんでもない発想をする人でしたね。

 野球の監督にたとえれば、選手の使い方がうまかった。軍団には私のような事件記者もいれば、企画力の優れた記者もいる。1番から9番まで絶妙のオーダーを組んでみせていた。黒さん自身は事件記者としてはいい選手だとは思わないが、事件記者を使うコーチ、監督としては抜群の才能を発揮した。部下の良さをうまく引っ張り出す名人、勝負師でしたね。

 組織とはライバルに勝つためにどういう陣を敷けるかが大切なんです。それがリーダーの資質であり、黒さんにあって私になかったもの。これは盗みたくても盗めませんでしたね。

●おおたに・あきひろ(ジャーナリスト)/1945年東京都出身。1968年に読売新聞社に入社。「黒田軍団」の一員として数多くのスクープ記事を取材。現在は独立、コメンテーターなどで活躍。

※週刊ポスト2015年12月11日号


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