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原節子が95歳で死去、映画『東京物語』で主演を務めた小津安二郎監督のミューズ

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小津安二郎監督を初め、1950年代から1960年代にかけて日本映画の黄金時代を築いた映画監督たちのミューズであった女優の原節子が、9月5日、肺炎のため神奈川県の病院にて死去していたことが分かった。95歳だった。

原は1920年に横浜で生まれ、15歳で映画デビューを飾った。彼女は1937年公開の日独合作映画『新しき土』で主演を務め、新たな夫と当時日本の植民地だった満州へと赴く女性を演じて名声をつかんだ。観客たちは彼女の西洋的な顔立ちと清潔感のある純粋な雰囲気に魅了された。

戦後は黒澤明監督や木下恵介監督らと共に、封建制度の束縛から解放されたモダンな女性を演じ、批評家からはキャサリン・ヘプバーンやジョーン・クロフォードと比較をされた。『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、そして『東京物語』(1953年)などの小津監督作品において、彼女は他人の幸せのために犠牲をいとわない昔ながらの純潔さをよりいっそう体現してみせた。同時に、『東京物語』の中で死去した夫の年老いた両親に対して笑顔で尽くす姿は、彼女が慣例ではなく選択に基づいて行動しているのだという印象を与えた。

101本目の出演作となる稲垣浩監督の映画『忠臣蔵 花の巻 雪の巻』が公開された1962年、原は42歳で突然の引退を発表し、日本の映画界に衝撃を与えた。それ以降、彼女は35歳で引退した名女優グレタ・ガルボと同様に最後まで沈黙を守り、インタビュー取材に応じたりや業界イベントに姿を現すことはなかった。晩年は、彼女の最も有名な出演作の舞台となった東京から南西に50キロメートルほど離れた鎌倉で余生を過ごした。

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