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ダウンタウンが東京進出の恩人・萩本欽一と22年ぶりの共演!濃すぎるトーク内容が話題に

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11月20日に放送されたフジテレビ系列のバラエティ番組『ダウンタウンなう』に萩本欽一がゲスト出演した。ダウンタウンの2人と萩本欽一が共演するのは22年ぶりということで、実に濃いトークが繰り広げられた。

・過去の共演の話
萩本が、ダウンタウンの東京進出の「恩人」だったことが明かされると、冒頭では過去の共演の話に。松本は「会ったこともない人をレギュラーにするのは何でですか?」と質問、欽ちゃんは「それは関係無い。ディレクターがいけそうだという人はわかる」と語った。つまり先見の明があったということだ。また浜田は「番組終わった後に会議室で、『うーん』って言って1時間動かないじゃないですか(笑)? あれは何やったんです。今だからいいますけど『せやからなんやねん!』って」と当時の思いをぶつけた。松本も似たような経験があったらしく、「ジミーちゃんに紙相撲をやらせて、そこで倒れたらそこから1時間『うーん』って・・・(笑)」と、結局萩本は何も言わずにその日は帰るとのこと。その行動について萩本は「今だから明かしてもいいけど、こうやってると考えてるみたいだろ? あれ考えてるんじゃないの。この隙間(指の隙間)からみんなを見てるの(笑)。人間って全員に勝負かけてもなかなか上手くいかない。スタッフだって80人くらいいるでしょ。その中に肝の据わった人がいるんですよ。そこへポンっといったら大体当たる」と、不可解な行動は、番組で何かしたい人を探すための行動だったという。

・芸人を志したきっかけ
萩本は芸人になった経緯をダウンタウンに質問、浜田は「競艇の選手を落ちたから(松本を)誘った」「帰りにNSCの看板を偶然見かけた」と芸人を志したきっかけを告白、当時松本は既に就職が決まっていたが、それを断り吉本の養成所に行き芸人を目指したと語る。一方、萩本は映画スターを志したが、”こんな目が垂れている人は居ない”と思い、コメディアンになり、1960年に浅草東洋劇場に入った。ちなみに「欽ちゃん走り」は先輩である東八郎の走り方を真似たものである。

・視聴率100%男
萩本は1970年代に『視聴率100%男』と言われた。当時、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(38.8%)、『欽ちゃんのどこまでやるの!』(42.0%)、『欽ちゃんの週刊欽曜日』(31.7%)など同じ時期に放送された番組をあわせて100%を超えたことから、こう呼ばれるようになったとのこと。ちなみに、前説をやり出したのは萩本が初めてだそうで、欽ちゃんファミリーの関根勤と小堺一機が当時前説をしていた。

・ドリフターズとの関係
『欽ちゃんのドンとやってみよう!』の裏で『8時だよ全員集合!』を放送していたことから世間からはライバルだとされていたが、実は仲が良かったそうだ。テレビ局で隣の部屋で稽古していたこともあり、加藤茶が出てきて「そっちどうなの?」と質問すると、「いかりや長介が怒ってるから」と当時語り合っていたという。

・結婚
萩本は35歳で結婚。奥さんは元ダンサーで「欽ちゃんは有名になりそうだから家賃払ってあげるよ」と当時ヒモだったことを告白した。

22年ぶりの共演とは思えない意気投合したトークが繰り広げられた今回の放送。途中萩本が松本に「御茶ノ水ってお茶なの水なの?」と無茶ぶりするなど、松本が弄られるという滅多に見られないシーンもあり、貴重な放送回となった。

■参照リンク
『ダウンタウンなう』公式サイト
http://www.fujitv.co.jp/DOWNTOWN_NOW/

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