うちわの年間消費量が200万本~江戸から学ぶ生活のヒント

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うちわの年間消費量が200万本~江戸から学ぶ生活のヒント

井戸端会議ならぬ「江戸端会議」というイベントが、9月25日、26日に東京・南青山で開催された。「徳川家康四百年祭」と銘打ち、江戸260年間にわたる泰平の世に構築された社会システムに潜む知恵や工夫から、21世紀の暮らし方のヒントを発掘しようというものだ。
人口100万人の時代にうちわの年間消費量が200万本

果たして、江戸時代の人々はどんな暮らしをしていたのか。そして、現代の住まいや暮らしに活かせるヒントとは何だろうか。

【画像1】会場は雨降るスパイラルホール。ポスターのイラストはしりあがり寿さん(写真撮影:石原たきび)

【画像1】会場は雨降るスパイラルホール。ポスターのイラストはしりあがり寿さん(写真撮影:石原たきび)

調べてみると、日本に洋傘が初めて伝来したのは1804年の長崎。おお、これも江戸後期だ。

イベントが始まった。まずは、日本文化デザインフォーラム理事長でソシアルプロデューサーの水野誠一さんが登壇。

水野さんの話では、江戸時代はエコロジーへの意識も高く、紙や布は何度もリサイクルされ、ゴミ処理も1662年の時点で永代島(現在の江東区永代)の埋め立て工事を始めたというからすごい。

「江戸文化」とはすなわち「循環の価値観」であり、「因果(原因と結果)」を検証しながら物事を決めていく方法だった。また、この思想を失った近代日本人は勝ち負けにこだわる「欧米依存型」になってしまい、目先の利益のために文化や自然を壊すことに抵抗がなくなった。

【画像2】したたかな外交戦略も(写真撮影:石原たきび)

【画像2】したたかな外交戦略も(写真撮影:石原たきび)

さらに、仕事に関しても社会全体が潤うことで自分も潤うという考え方が浸透しており、共同体優先の先進的なボランティア社会を実現していたそうだ。

20世紀のツケが回ってきた今だからこそ、江戸の知恵が必要だと水野さんは言う。例えば、エアコンの外部放熱でヒートアイランド化する流れを断ち切り、打ち水、ゴーヤカーテン、行水などで暑さをしのぐことで、再び地球が冷やされるという指摘もあった。

続いて、淑徳大学客員教授で江戸東京博物館名誉研究員の小澤弘さん。テーマは「都市『江戸』のエコロジカルな生活」。

【画像3】約200年前の日本橋の様子(写真撮影:石原たきび)

【画像3】約200年前の日本橋の様子(写真撮影:石原たきび)

江戸時代は武家も町人も一様に簡素な生活を送っていたという。当然エアコンなどはないので、うちわの年間消費量が200万本だったとか。人口が100万人の時代に、である。

【画像4】履き物も修理して長く使う(写真撮影:石原たきび)

【画像4】履き物も修理して長く使う(写真撮影:石原たきび)

また、くずを拾ってリサイクルしたり、大根を干して漬物にするなど、エコロジカルな生活だった。

【画像5】「イカ焼き」「てんぷら」などの屋台(写真撮影:石原たきび)

【画像5】「イカ焼き」「てんぷら」などの屋台(写真撮影:石原たきび)

とくにお祭りのときでなくとも、往来には屋台や仕出し屋が並び、ずいぶんにぎやかだったに違いない。ちなみに、食べ物屋のフラッグは青と決まっており、当時から「サイン計画」が進んでいたことになる。庶民に家紋が広がったのは江戸時代

その他、各界の識者が順に登壇し、プログラムは進行する。その合間にロビーに出ると、小さな江戸が再現されていた。

【画像6】紋章上絵師 波戸場承龍さん(写真撮影:石原たきび)

【画像6】紋章上絵師 波戸場承龍さん(写真撮影:石原たきび)

紋章上絵師とは家紋を墨と筆で描く職人のこと。波戸場さんは代々受け継がれてきた数万種類にも及ぶ家紋を再構築し、家紋とプロダクトデザインの橋渡し的な仕事をしている。

彼いわく、庶民に家紋が広がったのは江戸時代で、ひいきの歌舞伎役者の家紋を自分の家の家紋に使っていたそうだ。何とピースフルな時代だ。

【画像7】上:昭和初期の『平安紋鑑』 下:大正7年発行の『広益紋帳大全』(写真撮影:石原たきび)

【画像7】上:昭和初期の『平安紋鑑』 下:大正7年発行の『広益紋帳大全』(写真撮影:石原たきび)

また、片隅ではお茶会が開かれていた。

もともと、茶の湯文化は大名や豪商などのごく限られた人々のものだったが、江戸中期に裕福になった町人階級にも広まったという。

【画像8】華やかなお茶会の様子。器も美しい(写真撮影:石原たきび)

【画像8】華やかなお茶会の様子。器も美しい(写真撮影:石原たきび)

【画像9】銀座「空也」のもなかもいただきました。額は月、花は萩と桔梗と季節に合わせたもの(写真撮影:石原たきび)

【画像9】銀座「空也」のもなかもいただきました。額は月、花は萩と桔梗と季節に合わせたもの(写真撮影:石原たきび)屋台は今でいう「ベンチャー」

さらに、あめ細工の屋台も出ていた。

【画像10】店主の青木喜さんは昭和57年に江東区無形文化財に指定された(写真撮影:石原たきび)

【画像10】店主の青木喜さんは昭和57年に江東区無形文化財に指定された(写真撮影:石原たきび)

マーケティングコンサルタントの谷口正和さんが、屋台について講演で触れていた。それによれば、江戸時代の屋台は今でいう「ベンチャー」で、街に活気を与えていたそうだ。

現在、800万戸以上の空き家があり、シャッター通り商店街も多いが、こうした屋台やリヤカーを導入して成功した地方の商店街もあるという。

【画像11】窓から見えた紀ノ国屋は1910年(明治43年)創業(写真撮影:石原たきび)

【画像11】窓から見えた紀ノ国屋は1910年(明治43年)創業(写真撮影:石原たきび)

ほかにも、「地産地消は当たり前の感覚」「日本は湿度が高いので風が吹き抜ける紙と木だけの建築」「欧州の近代思想の前に江戸の自然思想があった」など、江戸時代には現代にも取り入れるべき暮らし、思想が多々あったことをあらためて感じた。
元記事URL http://suumo.jp/journal/2015/11/07/100318/

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