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隠れた「IT立国」、エストニアの実像は?

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ソ連崩壊から20年余り。共産主義時代のイメージがつきまとうバルト三国だが、エストニアは「IT立国」というポジティブなイメージをつくり上げることに成功した。世界的なP2Pの通信サービス「Skype」など多くのIT企業が生まれ、行政が高度に電子化し、住民はIDカード1枚で選挙投票、納税、公共交通機関の利用など多くの行政サービスを受けることができる。

では、なぜエストニアは「IT立国」と呼ばれるまでになったのだろうか? 早稲田大学でバルト地域の地域研究を行っている小森宏美さんにお話を聞いた。

エストニアが「IT立国」と呼ばれるようになった3つの要因

――なぜエストニアでIT環境が進んでいったのでしょうか。

「国土が小さく、人口も少ないということがあります。1991年に独立を回復した当時は、国際電話をかけるのも大変でしたし、電話機も電話線も少なかった。そのため、電話線を引くより携帯電話を使う方が速いので、いきなりみんなが携帯電話を持つようになったんです。通信インフラと同時に、インターネット環境も一気に普及していったんです」

――隣国には、北欧の経済大国フィンランドの存在もあります。

「エストニアにとって、フィンランドの存在は大きいと思います。長年、フィンランドが『自分が兄だと』と言い続けていて、そのなかでエストニアはいかにそれを超えていくのかがテーマとなっています。ソ連から独立したあと、最初の大統領のレナルト・メリは、エストニアのノキアを見つけないといけないと言いました。やはり、フィンランドがモデルとしてあるんですね。エストニアのように特別の産業もなく、資源も乏しい国はITの道しかないということを、大統領が積極的に発言していったわけですね。さらに言えば、製造業やIT産業などは、フィンランドの人や企業が入っていて、そこで地元のエストニア人を雇っています。だから、モデルケースというだけではなく、実際に、人もお金も企業もフィンランドなどから入ってきている。そこはとても大きいことだろうなと思います」

――国の経済政策はどうですか?

「エストニアは非常に自由主義的な経済政策をとりました。たとえば、1990年代の前半に、電話会社も含めて国営企業をすべての民間に売り払ってしまいました。それによって、外国資本がすべての分野で参入可能になった。いわば、大胆な経済政策の自由化も、先進化の理由のひとつだと思います」

――なぜエストニアは、バルト三国のなかで、いち早く経済の自由化ができたのでしょう?

「これは経済の専門家も言っていることなんですが、経済の自由化以外に政策の選択肢がなかったんです。一般に、関税や農業補助金の完全撤廃、法人税の廃止(ただし、再投資分のみ)などがよく挙げられますが、ほかの政策を採ろうにも予算がまったくないので、いちばん良いのは自由にやらせることだったんですね。それが当たったことで、さらに自由化が加速していったんです」

一方で、小森さんはこうも指摘する。

「確かに、いろいろなところで先進的なことをやってはいますが、エストニアの経済におけるIT産業の占める割合は、実はあまり大きくありません。エストニアというと、やはりソ連のイメージがつきまといますが、独立後の90年代はずっと経常収支は赤字。投資を呼び込むためには国のイメージが良くないといけない。そこで、通貨もIMFの反対を押し切りすぐに切り替えて、とにかく国が安定しているというイメージをつくり出したんです。”IT立国”というのは、そのための国家の戦略でもあるんです」

とはいえ、エストニアがバルト三国および旧ソ連の国の中で経済政策が成功している部類に入ることは間違いない。特に、起業に関しては世界でもトップクラスに活発で、国民ひとりあたりの起業数は欧州で一番ともいわれており、たとえ戦略だとしても、「IT立国」のイメージは定着している。昨今、ベンチャー支援の必要性の叫ばれる日本もエストニアから学べることは多いだろう。

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