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世良公則 「歴史に名を残したいとは思わない。それより…」

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 12月で60歳となる世良公則は、1977年に『あんたのバラード』でデビュー。彼のグループ「世良公則&ツイスト」は、同時期にデビューしたChar、原田真二とともに“ロック御三家”と呼ばれ、それまでアイドルや歌謡曲が全盛だったテレビの音楽番組に大きな風穴を開けた。

 ステージ終了後は、袖で倒れ込むこともあるなど全力で駆け抜けた4年1か月。グループの解散が近づいた時、ドラマのプロデューサーに声を掛けられた世良は、役者としてもデビューを飾った。

 1981年、火曜サスペンス劇場『さよならも言わずに消えた!』で原田芳雄、桃井かおりと共演。翌年には、『太陽にほえろ』で石原裕次郎とも共演を果たした。

「原田さんには、芝居も音楽も、写真も絵も、アーティストがモノを表現するという意味では同じなんだということを。裕次郎さんには、人に何をいわれようと、“俺は俺”という信念を貫くことの大切さを教えていただきました。

 ある時、裕次郎さんが、『レコードができたら持っておいで』といってくださったことがあって。俺のことを『ミュージシャン・世良公則』という目で見てくれたのがすごく嬉しくて、その言葉を真に受け『ボス、できました』ってアルバムをお渡しすると、にやっと笑って、『実は俺もレコーディングなんてことをしたことがあってね』といって、アメリカのジャズマンと一緒に作ったアルバムをくださったんです」

 本当のスターは、俺じゃなくて原田さんや裕次郎さんですからという世良だが、どんなに謙遜してもこれまでの華々しい実績から周囲が“あの世良さん”と見るのは仕方がない。

 しかし──世良が望むのは、どんな時でも、どんな相手でも、相対すれば五分と五分の関係。壁を作らず、真正面から、今、目の前にいる“この世良さん”に思いっきりぶつかってきて欲しいと呟く。そうすれば、シャワーを浴びるようにその気持ちが身体の中に入ってくるはずだから、と。

「やっていることは、今もデビュー当時も変わらない。好きな歌を作って、ギターを弾いて、歌う。マイクスタンドがあったら回すしね。違うのは、変に構えず、今あるように、そこにいるということを心掛けていること。

 俺にとっては、こうやって人と喋っていることも、飯を食べることも、歌を歌うことも、陶芸をすることも、息を吸って吐くのと同じ自然体でのことなんです。歴史に名前を残したいとは思わないし、俺が死んだ時に、誰かが、『世良さんって、真っ白なキャンバスにずっと一本の線を引き続けて、突然、いなくなっちゃったよね』といってくれればそれでいいと思っているんで」

 ライブでは、デビュー当時と少しも変わらない不敵な笑みを浮かべてステージに向かった世良公則は、今も現在進行形。枠のないキャンバスに、右肩上がりの線を引き続けている──。

◆世良公則(せら・まさのり):1955年、広島県生まれ。1977年、『あんたのバラード』(世良公則&ツイスト)でデビュー。1978年『銃爪』でオリコンシングル年間1位を獲得。1981年ツイスト解散後はソロでの音楽活動を開始するほか、俳優としても活躍し第10、22回日本アカデミー賞助演男優賞を受賞。アニバーサリー・イヤーとなった今年、ライブで全国を回っている。

取材・文■工藤晋 撮影■アライテツヤ

※週刊ポスト2015年11月6日号


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