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優勝した85年の阪神 木戸克彦と平田勝男の打順は年齢で決定

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 今や巨人に勝るとも劣らない人気を誇る阪神タイガースだが、日本一を経験したのは1985年の一度だけ。そのただ1度の日本一に大きく貢献した岡田彰布氏が、同年のチーム内の状況を振り返る。

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 当時オレは入団6年目。なんでこの戦力で優勝できへんのやと思いながらやっとった。毎年夏前までは優勝争いをするが、「死のロード」が終わったら下位に低迷というのがいつものパターンやったね。

 この年もオールスター前は首位・広島に3ゲーム差の2位やったし、8月に入って一旦首位に浮上したが、死のロード中に6連敗して3位に転落した。この連敗は日航機の墜落事故が起きて、中埜肇球団社長が巻き込まれて亡くなった直後に始まった。社長遭難がチームに与えたショックは想像以上に大きかった。今やからいえるけど、この時は誰もが「今年もか」と思ったもんや。

 でもこの年はチームに活気があったから持ち直せたんやろうね。1985年はチーム打率が2割8分5厘でリーグ1位、防御率が4.16でリーグ4位。投手陣は弱かったが、打つのが凄かったからな。マスコミが大応援団になってくれたことも大きかった。阪神はマスコミ報道が逆風になることも多いからね。まァ、そんなこと気にしていたら阪神では野球がでけへんけどな。

 1985年は打線が固定され、変わるのは2番と6番だけ。下位打線の決まり方は今でも覚えているよ。開幕前に吉田(義男)監督に呼ばれ、「平田(勝男)と木戸(克彦)はどっちが年上や」と聞かれた。7番と8番の打順に迷っていたらしく、平田が上ですというと、「なら平田が7番や」と決まった(笑い)。

【プロフィール】岡田彰布(おかだ・あきのぶ):1957年、大阪府生まれ。早大卒業後、1979年ドラフト1位で阪神に入団。1980年代の中軸打者として活躍する。引退後は阪神、オリックスの監督・コーチを歴任。

※週刊ポスト2015年10月16・23日号


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