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ロングインタビュー「篠原信一」

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篠原信一、実は柔道やりたくなかった…!?

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篠原信一は「すみませんけど…」と申し訳なさそうに言った。「どんなときに流した涙が人生を変えたか?」「その後、役に立ったか?」。その問いに対する正解は、「2000年シドニー五輪100kg超級決勝」。本来、篠原のポイントとなるべき内股すかしの「有効」が対戦相手のドゥイエに与えられ、結局判定負け。表彰台で涙を流し続ける彼の姿は日本中の共感を呼んだ。

――やっぱりあの時の涙の話になっちゃいますよね。

「あのー、すみませんけど、野村(忠宏)とか井上康生とか、山下(泰裕)先生、斉藤(仁)先生みたいな方たちのことは一旦忘れてください(笑)。私、幼少の頃から“将来はオリンピックで金メダル取りたい”みたいな思いはまったくないんで。ただ先生に言われるがまま柔道を続けてきたら、大学にも入れられて…」

――篠原さんってそもそも泣く方ですか?

「泣きますね。とくに大学に入った時は稽古でよく泣いてましたねえ」

――根本は「やりたくない」ですもんね。

「やる気もないし強くなろうとも思ってないし、僕よりも強い人がいっぱいいるのに稽古をガンガンつけてくださるので“なんでこんなんされなあかんねん”と。当時僕は細かったので、鍛えて太くなれば大学のレギュラーメンバーになって活躍できる、という思いから厳しく激しい稽古をしてくださったのかもしれないんですけど、僕はひたすら“そっとしといてくれ”と思ってました」

――いや、でも形としては自分から「大学に入れてください」って行ってるわけでしょ(笑)。

「だから稽古はちゃんとするんですけど、同級生からは“ナニ泣いてんの?”とかいじられるし、先輩も厳しいので…。“絶対覚えとけよ、いつか見返したるからな”って思ってましたね」

――そういう反抗心みたいなものはあった。

「“覚えとけよ”しかない(笑)。そこからどうにもできない。結局は自分の思い通りにならないもどかしさですね。だからあのころ泣いていたのは、負け犬の遠吠えです。でも、イヤイヤながらでもやってたらカラダが大きくなって筋肉もついて、ワザも身についてきて、投げられてばっかりだったのが投げられなくなる。たまに間違って投げることができたり」

――大学3年生の全日本学生選手権で優勝されて。ご著書の『規格外』のなかでは「痺れる感覚」って書いてらっしゃいますね。

〈全身にビリビリが走りました。(中略) 痺れた感覚が一気に緩むと同時に、身体の奥底から喜び  の感情が湧き上がってきました。客席の歓声も全部自分の中に入ってきて、僕という人間が際限なく膨らんでいくような感じ〉

…とあります。そこで柔道にやる気が出てきたと。

「その決勝の時の武道館の雰囲気と、試合して勝った時のビリビリ感。“これ気持ちいいなー”って思ったんです。“これってスターだな”と」

――そのビリビリをもっと味わいたいと。

「この大会は、全日本といっても“学生”選手権でしたからね。社会人も含めた全日本もあるし、世界選手権とかオリンピックもある。ここで優勝したことで、自分もそこまで行けるんじゃないかって思うようになったんです。その目標を持てたから、それまで“やらされてた練習”が“やる練習”になりました」

――ご著書での「100%」のくだりは納得しましたね。終了後のウェイトトレーニングすらできないほど全力で稽古するという。朝練でも、授業のことなんて1ミリも考えないで出し尽くして。あと、練習後のスナックでも「全力で盛り上がる」というのは笑いました。

「そうですか(笑)。でも、自分より強い先輩も同級生もいて、自分より強い後輩もいて、たとえば僕より先に結果を出して将来有望だと言われていた選手がいて、メダルは確実だと思われてたんですけど、オリンピックすら出られなかった。ケガに泣かされることもありますが、結局は自分でやろう、という意志を持たないと上を目指すのは難しいですよね」

――そういう全力の出し方を身につけて、それから7年後にシドニーオリンピックが来ました。

「その当時はもっとシンプルに、金メダル目指して試合に臨んだ、その結果負けた、やってしまった。なにをやっていたのだ、という感じでした。そのためにやってきた目標を失ってしまった。自分で“やれるところまでやった”と思っていたのに、実際にはできていなかったと痛感しました。内股すかしの後に気持ちをリセットできなかった。自分で自分が悔しくて悔しくて…」

――表彰台で嗚咽されてました。

「試合後、控室で涙が止まらなくて、表彰式に行く時には一応拭いてある程度は収まったんですけど、会場の中に入って表彰台に近づけば近づくほどまだ勝手に涙が出てきて…」

――オレの立つのは二番目の位置なんだ、と。

「僕は、実はあの時の涙を活かせていないんですよ。ロンドンオリンピックで日本の監督をやりますけど、結果、金メダルはゼロでした。僕の指導の根本にあったのは、僕があの時流したみたいな悔しい涙を選手には流させたくないなという思い。でもそれを選手に伝えることはできなかった。だから、“こういう悔しい思いをしたから大きくなれた”みたいな感覚まったくないんですよ」

――泣いたから強くなれたわけではなかった、と。

「今思えば(ニヤリ)… “笑われて笑われて強くなる”。これでしょ! 試合に負けて笑われてもいい。そこから強くなる。今、僕、いいこと言ってますよね。これ、つかえるんじゃないですか(笑)」

プロフィール
「篠原信一」しのはら・しんいち

しのはら・しんいち/1973年1月23日生まれ。中学で柔道を始め、育英高から天理大、旭化成。99年世界選手権2階級制覇、98~2000年には全日本選手権3連覇。00年シドニー五輪100キロ超級銀メダル。その後、母校の天理大学で柔道部を指導する傍ら教鞭を執る。03年に現役引退。08年日本代表男子監督に就任、ロンドン五輪後に辞任。13年には天理大を辞め、産業廃棄物処理会社「マイドス」を設立。4人の子供の父親でもある。また10月21日(水)発売の著書『規格外』(幻冬舎刊)ではやりたくなかった柔道を振り返り、タバコへの愛を語り、先輩へのリスペクトを語る。柔道家でありオリンピアンであり、最近ではウィキペディアに「バラエティタレント」という肩書も加わった、自伝&人生論。身長190cmの等身大は、まったく上から目線ではない。泣けて笑える好著です。

(R25編集部)

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