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金谷ホテルの百年ライスカレー 創業者のひ孫が記憶辿り復刻

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 カレーはいかにして日本の国民食となったか。1877(明治10)年には東京・銀座の『風月堂』(当時の『米津風月堂』)で、オムレツやビフテキなどと共にカレーライスがメニューに登場。もりそばが1銭だった時代に、価格はいずれも8銭。当時の詳細な記録は残っていないが、風月堂主人の米津恒次郎が1893(明治26)年に『婦女雑誌』で自身考案の家庭向け「即席ライスカレイ」のレシピを紹介している。
 
〈煎茶々碗に一杯のバターと、葱三、四本を細かに切りたるを深き鍋に入れ、(中略)煎茶々碗に八分目ほどのうどん粉を入れ、絶えずかき廻しながらとび色になるまでいりつけて、煎茶々碗に半杯のカレイ粉(西洋食糧品店にあり)〉を入れて鰹節の煮汁や醤油を加えて漉した後、〈湯煮したるクルマエビあるいは鳥肉〉を加えて、炊きたてのごはんへかけて食すべし、とある。

 現存する日本最古の西洋リゾートクラシックホテルとして知られる栃木・日光の『金谷ホテル』でも明治終盤からカレーが提供されていた。記録がある最古のメニューは、1907(明治40)年のもの。創業者の次男の結婚式の料理で、『鹿肉ライスカレー』が供されている。

「昔のカレーは高価で、ハレの日に食べるお料理でした。コースの1品として供され、野菜料理の扱いだったようですね。鹿肉や牛肉と特記されていない場合は、お肉が入っていない可能性があります。というのも、ルウと具材を別々に仕込んで合わせるのが、金谷のスタイルでもあるからです」

 こう語るのは、9代目料理長の伊藤光雄氏。47年間、金谷ホテルの厨房に携わってきた。
 
「ルウを作る際には必ずタマネギをバターで炒めて、メリケン粉を入れています。2003年の創業130年の折に古いメニューを復刻させたのが、現在の『百年ライスカレー』。歴代の料理長に受け継がれた伝統のレシピをベースに、創業者のひ孫である井上槇子会長が幼い頃の味の記憶を辿り、完成させました。昔は漬け合わせとして添えられていたピクルスの漬け汁やココナッツミルクで味付けするなど、今日ではあまり馴染みのない食材が特徴です」(同前)

 1937年に宿泊したヘレン・ケラーも、もしかしたら同じカレーを食べていたかもしれない。

●監修:東京カリ~番長/1999年結成の出張料理ユニット。『ニッポンカレー大全』(小学館刊)などの著書がある調理主任の水野仁輔氏ほか、男性11人で構成。全国各地のイベントに出張して、テーマに合わせたカレーと音楽を提供している。商品開発やメディア出演も多数。

撮影■河野公俊

※週刊ポスト2015年10月9日号


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