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闇市 平均月給100円の時代にコッペパン1個10円でも売れた

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 終戦間もなく隆盛を極めた闇市は、新宿でオープンし、全国に広がっていった。ジャーナリスト・猪野健治氏が当時の様子をレポートする。

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 闇市での価格は需要に直結していた。たとえば、着古しの背広は値を下げても売れず、肌着などの日常着は人気があった。最も需要があり高値だったのは禁制品の米や麦などの食料品だ。

 当時は日本中が飢えていた。政府の主食配給は一日に1200キロカロリー分にすぎなかった。成人に必要とされる最低カロリーの半分だ。それも、米のかわりに芋や芋のつるに換算して配給されることが多く、遅配・欠配もざらにあった。これでは生きていけないから、一般の人は着物を売るなどして闇市に頼るしかなかった。

 平均月給が100円の時代に、コッペパンが1個10円。そんな高値でも作るそばから売れていった。闇屋に米を売ったほうが儲かるので、政府への供出義務を怠る農家も多かった。取り締まる側の警官でさえ、堂々と闇物資を買っていた。

 ヤクザや愚連隊などが雑多に入り乱れる闇市は一見無秩序の側面も見られるが、闇市ならではの秩序形成と義侠心も垣間見られた。

 中には理想に燃えて人助けに励む者がいたことも事実だ。例えば露天商を統率してきた関東尾津組が開いた尾津マーケットがある新宿では無料の診療所が開設された。これは人助けの理念を持ったある医者の人柄に尾津が惚れこんで、経済的にバックアップしてできたものだ。また、旧軍の食糧庫を襲って得た米で7日間無料の炊き出しを行うグループもあった。

 このようにして日本国民の命をつなぎとめていた闇市だったが、そこに蠢く民衆のエネルギーは、「革命」をなにより恐れるGHQの忌み嫌うところとなる。そのため警察権力の回復とともに取り締まりが強化され、昭和26年末の露店整理完了をもって闇市は歴史の表舞台から姿を消す。

 闇市とは戦後の焼け跡の中から自然発生的に生じた復興の営みであった。日本では今後も危機に直面したとき、こうした先駆的な行動をとる人々が必ず現われ、復興の原点をつくるに違いない。

※SAPIO2015年10月号


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