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菅義偉氏 北海道教育大受験の事実はなく逃げるように上京

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 影の総理とまでいわれる菅義偉・官房長官。生い立ちから青春時代までどのような人生を歩んできたのか。ノンフィクション作家の森功氏がSAPIO連載「総理の影 菅義偉の正体」の中でインタビューした。

 * * *
 菅義偉は、世辞にも華のある政治家とはいいがたい。だが、安倍政権を支える屋台骨として、霞が関の官僚に睨みをきかせ、産業界とも連携してきた。

 そんな菅は高校卒業後、郷里の秋田を離れ、東京にやって来た。父親に反発し、家出に近い上京だったという。奇しくもそれが政治家になるきっかけとなる。

──南満州鉄道の職員だった父・和三郎は満州から命からがら引き揚げ、秋田でイチゴ農家を成功させた。父親の影響は?

「まあ、男の子はみな親父の影響を受けているのでしょうね。満鉄ではものすごく待遇がよかったらしく、官舎があって、お手伝いさんがいたとか、そういう話はよく聞きました。

 満鉄でそれまで最高の幸せな家庭を築いてきたのに、戦争で負け、一転して引き揚げてくるときは大変だったらしい。姉二人は向こうで生まれましたから、一緒に帰ってくるときの話とか、それは聞いています。ただ、引揚者はたいていそうでしょうから」

 和三郎は終戦後、イチゴの生産組合を設立し、町会議員にもなった。二人の姉はともに高校教師になっている。菅本人は巷間伝えられているように集団就職せざるをえなかったわけではなく、地元に残る選択肢もあったはずだ。

──教師を志して北海道教育大学を受験して失敗し、上京したという一部の報道もあるが、上京はやはり父親への反発からか。

「北海道教育大を受けた事実はまったくありません。姉だけでなく、叔父や叔母など親戚が教師だらけだったので、それだけはなりたくなかった。かといって、農業を継ぐのも嫌でした。それで、東京に行けばいいことがあるんじゃないかなって感じで、ある意味、逃げるように出てきたのです。

 私のところでは、同級生の友だち百二十人のうち、六十人が中学校を卒業して東京に集団就職していました。残った六十人のうち、三十人は農家を継いで、高校に行ったのは三十人しかいない。そんな田舎でした。

 で、高校を卒業すると、東京に出る友だちもいっぱいいたし、それも集団就職。私はそれで東京に出てきて段ボール会社で働き始めたんです。ただ、東京で自分の好きなことをやろうっていう程度でした。そこで初めて、現実がいかに厳しいかに気がついたわけです。私が一番思い出したくない青春です。そうして、やっぱりどこかの大学に入らなきゃまずいなと思いはじめたのです」

 菅は一念発起し、法政大学法学部政治学科に入学する。もっとも、そこからすぐに政治家を志したわけではない。

「大学は別に法政大学でなくてもよかったんです。当時は、いつかは田舎に帰らなきゃまずいだろうな、と思っていましたから。そうして働きながら大学を卒業した。

 だけど、まだすぐにはうちに帰りたくないし、他の大学生はそこから就職するというし。本を読んでふらふらしながら考えているうち、この世の中は政治が動かしてるんじゃないか、と気がついたとでもいえばいいでしょうか」
(敬称略)

※SAPIO2015年10月号


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