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箱から飛びだした〈量子猫〉。六十四卦のマッド・ミステリ。

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 新刊というにはちょっと時間が経ってしまったけれど(7月刊)、この作品を紹介せずにすますわけにはいかない。P・K・ディックがモデルという話題性もあるが、「シュレディンガーの猫」をキーイメージとする大胆なアイデアを導入し、ミステリの結構でかなり派手なSFスペクタクルを打ちだした腕前がみごとだ。

 怪盗グリフィンに持ちかけられた依頼。それは、死後にカルト的な人気が高まっているSF作家P・K・トロッターの未発表中篇「多世界の猫」の回収だった。

 P・K・トロッターは1928年生まれ、82年没。西海岸のドラッグ・カルチャーと縁が深く、現実/虚構、オリジナル/コピーの関係が複雑な入れ子状態となったストーリーと、「ポストモダン的な想像力の万華鏡」と評される独自の作風で、SF評論家やマニアから熱狂的に支持された。「多世界の猫」を”発見”したのは、コロンビア大学の英米文学および比較文学科の教授、ジェラルド・マーズデン博士。この作品は1970年代半ばに執筆されたが、連邦政府の秘密にふれたためその筋の組織によって葬りさられ、それから40年を経てようやく埋もれていた原稿が確認された。いまSF雑誌の編集部で掲載にむけ準備が進んでいる。奇しき運命をたどった遺稿はちょっとしたニュースとして新聞でも報道された。

 しかし、グリフィンに接触してきたエリック・ケンドールを名乗る人物(こちらもスタンフォード大学の教授だという。専門は英語学)は、「多世界の猫」は巧妙につくられた贋作だと主張する。ケンドールの教え子がちょっとした遊び心でつくったものがめぐりめぐって、マーズデン博士の手元にわたった。書かれた小説が世に出るのはかまわないが(内容からは真贋の見分けはつかない)、物理実体としての原稿を専門家が鑑定すれば偽造が明るみに出てしまう。そうなると、教え子の将来は閉ざされるし、ケンドールにも累が及び、研究資金が得られなくなる。

 海千山千のグリフィンはケンドールの説明を鵜呑みにせず、そちらの裏も取りつつ、とにかくトロッターと「多世界の猫」の周辺情報を集めはじまる。これはビジネスであり成功報酬が約束されているが、グリフィンの信条「あるべきものをあるべき場所に」は曲げられない。もしケンドールが不当な主張をしているのであれば、依頼はご破算だ。

 調査を進めるうちに、事態は思ったよりもややこしく入り組んでいることがわかってくる。なかなか真相にはたどりつかず、怪しげな証言が積みあがっていくばかり。しかも現在進行形だ。過激な環境テロリストやCIAのエージェントまで絡んできて、グリフィンは何度も危機に遭遇する。順番に記すと—-

(1) ケンドールの主張。「多世界の猫」は贋作だ。数理的文学解析の研究から生まれた人工知能エンジン〈ストーリー・マシン〉を駆使し、トロッターの作風を再現している。

(2) マーズデン博士の言い分。「多世界の猫」は真作だ。トロッターはこの作品のなかで、政府直属の研究機関がその当時、極秘に取り組んでいた非倫理的な実験を描いている。それは、波動関数収縮のメカニズムを解きあかすため「シュレディンガーの猫」を実地でおこなうもので、多くの猫が虐殺された。ところが、この実験によって思わぬ成果が得られた。生と死が共存する幽体のような状態の〈量子猫〉である。

(3) 環境テロリストの目的。「多世界の猫」は連邦政府の名の下におこなわれた非道な動物虐待の記録だ。活字メディアに任せておけない。ネットに無料で公開して、国家ぐるみの陰謀を告発するとともに、われわれの活動の正当性をアピールする。

(4) アグネス・ブラウン(グリフィンが以前の案件で関わったCIAのA級エージェント)が明かした情報。ケンドールは偽者であり、背後で糸を引いているのは、ヨーロッパのオカルトがかった科学振興財団〈フェンウィック財団〉だ。この財団は〈量子猫〉の凍結標本を、CIAの恒久保管センターから盗みだした。

 —-ここまでで物語のちょうど半分。この作品はミステリなので、(1)〜(4)のいずれも真実とは限らない。なにかの意図があって嘘をついているかもしれないし、述べている本人が信じていても錯誤や捏造ということもありうる。眉にツバをつけながら読み進めなければならない。

 主人公グリフィンもくるくる変わる状況のなか、「真作か、贋作か、それが問題だ……。/ぼくはあらためて、この状況がシュレディンガー博士の思考実験とそっくりなことに気づいた」と独りごちる。「シュレディンガーの猫」についていまさら説明の要もないだろう。量子力学に関わる思考実験で、スイッチで毒ガスが出るようにした箱に猫を入れて、スイッチを放射性物質と連動させておく。放射性物質の原子核が崩壊したらスイッチが入る仕組みだが、崩壊するかしないかは確率的にしか求められない。箱を開けてみるまで猫の状態はわからず、物理学上は箱のなかの猫は生死が「重なりあった状態」と解釈される。

 よくよく考えてみれば、ミステリというのは「重なりあった状態」を楽しむ小説かもしれない。極端に言えば、殺人事件で殺されたはずの被害者がじつは死んでいない可能性や、意図的な犯行などなくすべてが偶然の連鎖だった可能性までも考慮に入れなければならない。箱を開けてみるまで猫の生死がわからないのと同じように、本を読み終えるまで真相はわからない。

『怪盗グリフィン対ラトウィッジ機関』が巧みなのは、そのミステリの本質(?)とディックが得意とした現実/虚構やオリジナル/コピーの感覚をうまく接続させているところだ。『高い城の男』で印象的に用いられていた易経もギミックとして取りこんでいる。

 それとは別に、物語後半で語られる〈量子猫〉絡みのアイデアがそうとうにムチャです。サイバーでメタフィジカルだが、要約して説明するととたんにバカバカしくなる。『宇宙の眼』を彷彿とさせるけど、精神世界の反映みたいなアレゴリーにいかないぶんだけ法月作品のほうが現代的で、キレのある味わいに仕上がっている。

(牧眞司)

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