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日光 開山の祖・勝道上人が見出した神域としての原風景を辿る

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 秋の観光シーズン到来で多くの人で賑わう栃木県・日光。東照宮では祭神である徳川家康没後400年を迎え、式年大祭などが開催されているが、そもそも日光はなぜ神域といわれ、家康はこの地に自らの霊を祀ることを指示したのだろうか。そのヒントを探るべく、日光開山の祖である勝道上人(しょうどうしょうにん)が歩いた道を、写真家・小澤忠恭氏が辿った。

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 古より多くの人が訪れる栃木県の観光地・日光。江戸初期に徳川家康の霊を祀る東照宮が建てられて以来、大名、武士は無論、庶民の間でも日光詣では盛んに行なわれてきた。現代でも中禅寺湖や華厳の滝といった景勝地にも恵まれ、年間1000万人以上の観光客が訪れる。1999年には世界遺産に「日光の社寺」として登録され、海外からのツーリストも増えた。

 観光客は急ぎ足で世界遺産3社寺(東照宮、二荒山神社、輪王寺)を巡り名物を食べ、さっさと立ち去っていくように見える。もちろん世界遺産は見応えのあるものだが、実はそれ以外の場所にも日光が本来持っている不思議な「吸引力」が隠されている。東照宮は素晴らしいが、それではなぜ家康は日光を選んだのかと考えると、家康が見た東照宮以前の日光を探してみたくなる。

 日光を仏道修行の場として開山したのは、南栃木真岡の人・勝道上人といわれている。西暦766年(奈良時代)、 勝道上人は神橋辺りで大谷川を渡り、そこを修行の地とした。勝道が最初に庵を結んだのは神橋の北岸付近で、四本龍寺を建立した。後にそのすぐ南、本宮神社のある場所で二荒山(ふたらさん・現在の男体山)の神を祀り、ここが日光信仰の中心地になる。この二荒をニコウと読んだことから、日光という地名が生まれたとされる。

 だが、ここまで足を運ぶ観光客はほとんどいない。草木の生い茂る四本龍寺付近に立つと、凛とした気配と静けさに向き合うことができる。素朴で身の引き締まる空間だ。東照宮以降に造られた豪奢さというベールの、そして現代の観光という経済のベールの届かない所に、勝道が見た聖地・日光がある。

 日光で修行を始めて16年後、勝道は何度かの挑戦の末、二荒山登頂に成功した。二荒山は一説ではサンスクリット語のポータラカ(補陀洛)の音に由来し、観音菩薩の地を意味する。標高2486メートル、周りの山々を巡る雲海と同じ高さ。勝道上人は天に近づきたくて登ったのかも知れない。道中では美しい中禅寺湖と華厳の滝を発見。しかし、山頂で待っていたのは荒々しい岩山の光景だった。勝道はどんな思いで山頂に何日間も滞在したのだろうか。

 二荒山登頂のあと、勝道は大谷川の支流、稲荷川沿いの谷合に次の修行と瞑想の場を求めた。今の瀧尾(たきのお)神社の周辺だ。東照宮の裏手からここまでわずか15分の道のり。だが、まるで空気が違う。辺りは聖なるオーラに満ちあふれている。山懐の緑の谷は草木や動物の生命に満ち、二荒山の荒々しさとはまた違い優しい気持ちに満たされる。

 死をも感じさせる世界と命あふれる世界。そんな知られざる日光があったのだ。

 勝道は、この荒々しくも豊かな地を世に広めるため、空海(弘法大師)に碑文の記述を依頼している。

 家康が死後、ここに祀られることを望んだのは、ここが江戸から見て、北辰(北極星)の方角だったからともいわれているが、この地の持つ特別な空気を、勝道と同じように感じ取っていたのではないだろうか。

 83歳で生涯を閉じたとされる勝道上人。その墓は東照宮と瀧尾神社の中間辺り、開山堂にある。

■文・撮影/小澤忠恭

※週刊ポスト2015年9月18日号


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