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高校野球ファン必読の短編集〜須賀しのぶ『雲は湧き、光あふれて』

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 去り行く夏は惜しくないが(暑さが苦手だから)、高校野球が終わってしまったのは惜しまれる。今年も早稲田実業の1年生スター・清宮選手や関東一の俊足強打者・オコエ選手、公立校びいきゆえ個人的に応援していた秋田商業の左腕エース・成田選手などの注目選手が続々登場したし、全般的に打撃戦・接戦が多く観る側にとってはおもしろい試合が多かったと思う。「自分が高校球児と同い年」「高校球児より年上」「監督と同年代」などさまざまなシチュエーションを経て、現在は「自分の息子が高校球児より年上(の子もいる)」という時代(清宮くんは次男の1コ下)。知らないうちに遠くまで来てしまったことよ…(遠い目)。しかし、これって多くの高校野球ファンが持つ感慨ではないだろうか。自身が高校時代から遠ざかるほど、現役球児たちへの思い入れが強くなる。これからも私は「この監督、うちの息子と同い年!」「あらっ、この子うちの孫より若いじゃない!」とか言いながら、白球を追う高校生たちの姿に声援を送り続けるだろう。

 そんな高校野球ファンにとっては見逃せない一冊が本書。大の野球ファンでもあると公言されている著者が、楽しんで書かれたのだろうなと容易に想像できる(地方の弱小クラブチームの奮闘ぶりが心に迫る『ゲームセットにはまだ早い』もあわせてどうぞ。幻冬舎刊)。3年生最後の甲子園を前に故障した超高校級スラッガーの専属代走に指名された補欠選手がぐるぐる葛藤する「ピンチランナー」、地元強豪校の花形投手を追うはずが何故か対戦相手の好投に目を奪われた女性新人記者が悪戦苦闘する「甲子園への道」、第二次大戦下で「敵国の球技にうつつを抜かしている」と非難されながらも野球に青春を懸けた若者たちを描いた「雲は湧き、光あふれて」と、3つの作品が収められている。

 大勢の観客の注目を集め、彼らの記憶に刻まれるような活躍をする。高校野球に限らず、いかなるスポーツ・芸術活動においてもそんなスタープレイヤーはごくごくわずかだ。3つの作品の主人公たちも、才能に恵まれた同期にくらべて自分が劣っていることをいやというほど思い知らされている(「甲子園への道」の主人公・泉は女子でもちろん野球経験者でもないが、彼女が肩入れしているのが初戦で相手チームのエースに投げ負けた無名校の投手。泉自身もアナウンサーを目指しながら挫折した過去を持つ)。チームメイトとして嫉妬を抱えながらも、同じ選手としては賞賛する気持ちを抑えられないというアンビバレントな状態が、どれほどキツいか。それでも結局、彼らはその苦しみを乗り越えていく。それは、自分も相手も野球を愛する者同士だからだ。

 著者の須賀しのぶ氏は、1994年上期にノベル大賞(旧コバルト・ノベル大賞)を受賞。以後ライトノベルを中心に活躍されていたが、近年は一般小説のジャンルに軸足を移しておられる。己の信じるところに従って行動する登場人物たちのいきいきとした魅力と、「野球」「音楽」「ドイツ」といった個人的に心ひかれるキーワード群により(ベルリン崩壊直前、東「ドイツ」に留学した日本人「音楽」家の成長を描いた『革命前夜』も珠玉の一冊! 文藝春秋刊)、このところ最も注目させていただいている作家のひとり。そしてまた、須賀氏の戦争と真摯に向き合おうという姿勢にも頭が下がる思いだ(戦いの中でもいかに生きるべきかを自らに問いかけ続けた主人公兄妹の孤高が胸を打つ『紺碧の果てを見よ』も、心に残る力作。新潮社刊)。

 本書の表題作となっている「雲は湧き、光あふれて」も、登場人物たちの苦悩がひときわ胸に迫る一編。次々とかけがえのないものが奪い去られていく戦時下で、それでもチームメイトの心から友情だけは失われることはなかった…。例年、終戦記念日である8月15日にはできる限りテレビの向こうに並ぶ球児たちと一緒に黙祷するようにしている。そして奇しくも今年、原爆が長崎に投下されたのと同じ8月9日11時2分に甲子園にいたのは、長崎代表の創成館。黙祷する彼らに平和な時代のありがたさを痛感した人は多かったことだろう。もう二度と戦争によって高校野球が、そしてできることなら世界中の人々の暮らしが、侵害されなければいいと心から願う。

(松井ゆかり)

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