ガジェット通信

見たことのないものを見に行こう

「私は日本人です」第二次世界大戦で、国籍を失った日系2世の悲痛な叫び

DATE:
  • ガジェット通信を≫

船尾修さん。アジア・アフリカでドキュメンタリー作品を撮り続けている写真家。
彼は撮影でフィリピン・ルソン島の世界遺産に登録されている棚田に訪れた時、そこがかつて第二次世界大戦時に日本軍が追い詰められ、多数の戦死者、餓死者が出た場所であるということを知りました。

第二次世界大戦が招いた
日系2世の悲劇

戦前、フィリピンへ渡った日本人移民たちは、その土地で豊かな社会を築きました。その数は最盛期には3万人にものぼったといいます。
フィリピン人女性と結婚し、家族を持った日本人男性も多数。父系主義の時代。両親から生まれた子は、日本国籍を保持していました。
しかし、その幸せな生活は第二次世界大戦により崩壊していったのです。

■第二次世界大戦により、同僚も隣人、親戚すらもが「敵」に

日本軍のフィリピン侵攻に伴い、在留邦人はもちろん戦争への協力を余儀なくされました。日本人移民社会は国家総動員体制に組み込まれました。隣人であり、親戚であり、同僚であったフィリピン人と、敵同士として争うことになったのです。

■フィリピンに取り残された日系2世

多くの在留邦人が戦争で命を落としたものの、なんとか生き延びた1世もいました。しかし、彼らは日本に強制送還され、妻と子供(残留日本人)だけがフィリピンに残されました。

反日感情の強いなかで、日本人の血を引いていると現地住民にバレたら、すぐに殺される。そのため、フィリピン名を使い、日本語も決して話さない。農村などで隠れるように生活を送っていました。十分な教育も受けられず、極貧の生活を強いられた人も少なくありません。また、日本国籍を失った人も。

「私は日本人です!」
残留日本人の悲痛な叫び

そして、フィリピンで反日感情が薄れ始めた80年代。この頃から、フィリピン各地では日系2世、つまり残留日本人自らが日系人会を組織し、「日本人」という存在の証を求め、動き始めました。
しかし、証明できる書類はなにもなく、未だに日本国籍を回復できない日系2世は800人以上もいます。

写真集を出して
彼らの存在を知ってもらいたい!

「戦前生まれの2世も高齢化しており、いま彼らの証言を得て、記録しておかないと、あの酷い戦争の実態が永遠にわからなくなってしまいます。そのために、彼らの戦前から戦後にかけての証言を写真集にまとめたいのです」

と、船尾さん。現在、そのための資金をクラウドファンディングサイト「READYFOR」で募っています。ぜひ、皆さんの協力をお願いします。

 

 

関連記事リンク(外部サイト)

【貴重な証言】95歳のドイツ人女性がSNSで語る、ナチス・ドイツ「動乱の記憶」
あなたが知りたくない「食品、3つの真実」。産地直送の意味に隠されていることって?
英NPO団体が制作した「サバイバルゲーム動画」が、訴える現実とは?

カテゴリー : 生活・趣味 タグ :
TABI LABOの記事一覧をみる ▶
  • 誤字を発見した方はこちらからご連絡ください。
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちらから
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。

TOP