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「宿題代行業」に賛否、宿題は「理不尽な平等主義」の産物?

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「宿題代行業」に賛否が集まる

連日猛暑が続いた今年の夏休み。なかなか勉強がはかどらずに、最後の1日でギリギリ仕上げたという人も多いのではないでしょうか。自由研究と感想文の題材が最後まで決まらず、結局、その場しのぎの作品でお茶を濁すという光景は今も変わらないようです。ただ最近は、大学生アルバイトを使って感想文なら原稿用紙1枚3,000円、自由研究は1件5,000~1万円程度で片付けてくれる「宿題代行業」なる商売が繁盛しているそうです。

「宿題は自分で取り組むことに意義があるのに、金を払って他人にやらせるなど論外だ」といった批判的な意見ばかりかと思いましたが、ネットの一部では「仕事で忙しく子どもの宿題を見ている暇が無い保護者にとっては助かる」と評価する声や、「浮いた時間を塾での受験勉強に回せる上、そもそも学校の宿題など受験には役立たない」という意見も見られます。

宿題の「理不尽な平等主義」が問題の根源

ただし、筆跡や文体などをどんなに繕っても、日頃から子どもと直接向き合って学力から性格、癖まで熟知している先生にとっては、生徒が一人で取り組んだのか見分けることは難しくありません。そもそも、その程度見破れないようでは、どこまで生徒を理解したうえで指導しているのかも疑問です。クラス全体の平均点ばかり気にして個々の指導を軽視している教師には、指導者の資格はありません。

「宿題」の目的は、学校の授業を補完することです。従って、必要な宿題の内容や量、ペースは生徒一人ひとりの学力や性格、目標、興味関心などによって百人百様であるはずです。学校の授業だけで十分な生徒には計算ドリルも漢字練習帳も必要ありませんし、逆に単元によっては1学年遡っての復習が必要な場合もあるはずです。生徒のニーズは千差万別にもかかわらず、宿題は全員一律同じでないと不公平だという「理不尽な平等主義」が問題の根源なのです。

宿題を個別仕様にすれば代行業者は自然と淘汰される

また、一方的に宿題の内容と量を決めて強制的にやらせても、生徒は義務的に消化するだけで本質的なことは何も身に付きません。生徒が自主的に取り組んでこそ宿題の意味があり、「宿題をやる・やらない、やるなら何をどの程度やるのか」は、生徒の自主判断に委ねるべきです。夏休みには理科の自由研究だけに没頭したい生徒もいるはずですし、1学期に勉強した内容を復習しないと2学期から授業についていけない生徒には、問題集の必要な部分だけを宿題にすれば済む話です。学校の授業より塾の受験勉強を優先したい生徒は、それが本人の希望であるならば構わないと思います。

自宅で要点をビデオ予習することが宿題で、学校では演習形式の授業を受けるという反転授業でも同じことが言えます。宿題をやらなくても授業を受けることはできますし、満足に理解できなくても授業は勝手に進み、4月になれば次の学年へ自動的に進級できます。予習や宿題を自主的にやればやるだけ先へ進め、逆に何もやらなければ一歩も進めないという仕組みにしない限り、学習に対するモチベーションは上がりません。

現行教育制度下の学校教育では、百人百様の学習指導をすることが不可能なのであれば、せめて宿題だけでも個別仕様にすべきです。宿題を一人ひとり異なるニーズに合わせて個別化し、生徒自身が主体的に取り組まなければ先へ進めないという仕組みにすれば、悪しき平等主義の集団画一教育から生じる歪みに乗じて商売をしている宿題代行業者は、自然に淘汰されるでしょう。

(小松 健司/個別指導塾塾長)

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