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宇宙飛行士ガガーリンは「地球は青かった」と言ってない事が判明! 実際に言った言葉

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「人類の歴史は戦争の歴史である」なんていうと、以前にも似たような書き出しをした覚えがありますが、ともかく戦争と人類の技術発展が切っても切れない関係であったことは否定できないでしょう。軍事テクノロジーの進歩は、様々な分野に大きな影響を与えてきました。

できることならそれは物騒でない方向で競ってほしいものですけれども、実際にはそうもいきません。というか、たとえ他の分野の競争であっても、その背後に軍事的な思惑が漂っているというほうが正しいですかね。本日はその一例である、ちょっとスケールの大きいお話です。

1969年(昭和44年)7月20日は、アメリカのアポロ11号が人類初の月面着陸を成し遂げた日です。某アーティストのデビュー曲でも有名ですので、この件を知っている方は多いと思いますが、この影にはアメリカとソビエト連邦の熾烈な競争がありました。

結構ややこしい話なので、いつも通りテキトーに省略しながらお話していきますね。冷戦時代のことなので、その辺も含めるとものすごくめんd……長くなってしまいますし。

・1950年代から激化した米ソの宇宙開発計画
まずは1950年代から1970年代にかけての、宇宙開発の主な出来事を一挙に確認してみましょう。

【8行でわかるかもしれない宇宙開発競争】
1957年 (ソ)大陸間弾道ミサイル&人工衛星スプートニクの打ち上げに成功
1958年 (米)が人工衛星エクスプローラー1号の打ち上げに成功
1959年 (ソ)月の裏側の撮影に成功
1961年 (ソ)初の有人飛行に成功
1965年 (ソ)宇宙遊泳に成功
1969年 (米)アポロ11号が月面着陸に成功 ←今日ここ
1971年 (ソ)初の宇宙ステーション・サリュート1号を打ち上げ
1975年 アポロ・ソユーズテスト計画でアメリカ・ソ連が協力

毎年のように大きく進展しているあたり、競争の激しさが伺えますね。こんな感じで、全体的にソ連が優勢ではありました。この裏で核開発競争その他もやってるんですから、大国の軍事予算ってほんと凄まじいです。

とはいえ、宇宙開発競争が本格化したのはスターリンが1953年に亡くなってからの話なので、冷戦という視点で見れば徐々に解決へ向かい始めたころなのですけどね。

・目的はふたつ
では何でそんなお金のかかることをやったのかというと、目的は大きく分けてふたつありました。「宇宙へロケットを飛ばせるなら、兵器にも応用できるだろう。衛星から敵の状況を探る事だってラクになる」という軍事技術への応用目的です。そりゃそうだ。

もう一つはもっと単純な話で、「宇宙に行けたら皆スゲーって思うじゃん!『ウチの国カッケー!』ってなるじゃん! 一石二鳥! 将来移住とかできるかもしれないしね!」(超訳)というものでした。どこの国でも星や月に関する伝説や神様はありますから、人類共通の憧れであることは間違いないのですがね。

そんなわけでソ連の大陸間弾道ミサイル(略称: ICBM)打ち上げ成功を皮切りに、米ソ両国の宇宙空間への挑戦が始まりました。同年、ソ連がスプートニクの打ち上げに成功するのを見たアメリカは「ウチが世界で一番すごい技術を持ってるはずなのに! ガッデム!」(※イメージです)と、躍起になって宇宙開発を進めます。それで翌年には追いついちゃうんですから、この方たち何なんでしょうか。

しかしそう成功が連続するハズもなく、これらの研究や打ち上げの影で莫大なお金と命が消えていきました。ソ連は有人飛行の前にまず蝿を、次に犬や亀などを送り、アメリカはチンパンジーを人工衛星に乗せて打ち上げています。有名なのがソ連の犬「ライカ」ですかね。犬種の名前なのか固有名詞なのかがはっきりしないそうですが、まあ当時ソ連の宇宙開発については大部分が機密事項だったので仕方ない。

・ガガーリン「地球は青かった」は微妙に訳が違う!?
そして動物たちが生きて帰ってこられることがわかると、いよいよ有人飛行が試みられます。言い方が悪いですが、この辺の経過は病気の研究と似てますね。一番有名なのは、1961年にソ連の宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンが有人飛行に成功したことでしょう。「地球は青かった」という台詞で有名なあの人です。

直訳だと「空は非常に暗く、地球は青みがかっていた」らしいですが、こまけえこたあいいんだよ。ちなみに、彼の故郷はこれにちなんで「ガガーリン市」に改名したのだとか。すげえ。

人間が宇宙に行けることがわかった両国は、次に地球から最も近い天体・月への着陸を目指します。それまでも同時進行で無人探査機は送られており、安全な着陸地点を探るところまでは行っていました。探査機を送る段階ではやはりソ連のほうが先行しており、月面着陸への計画もあったたのですが、度重なるトラブルによりソ連は断念せざるを得ませんでした。

その間にアメリカは見事アポロ11号を着陸させることに成功し、文字通り月面に足跡を残したのです。当時のソ連のお偉いさんによると「競争してないからウチが負けたわけじゃない」らしいですが、屁理屈にしても苦しすぎやしませんかね。

他にも地球から割と近い金星・火星で両国の競争が行われましたが、細かい話になるので割愛しますね。木星より遠い方向=太陽系の外側については、アメリカしかやってないので競争にすらなっていませんし。

・お金に困った両国が「アポロソユーズ計画」を推進
長年に渡る宇宙開発が、両国のお財布に深刻な打撃をもたらしたのは同じです。アメリカは1958年にNASAを作って一元化していたため、比較的予算をうまく使っていました。が、ソ連ではそうした機関がなく、また関係する機関同士の連携が良いとは言えない状況だったので、いわゆる「行政のムダ」が大きかったのです。

そして国家全体としての経済もアメリカのほうが上だったこと、他の分野でも莫大なお金を使ったことで、ソ連のお財布はどんどんやせ細ってしまいました。中国との不和や東欧諸国(いわゆる”東側”)の離反も相次ぎ、ソ連という国自体の存続が怪しくなってくると、もはや技術競争どころではなくなってきます。

そこでソ連は「ちょっとだけ仲良くしてやってもいいわよ。べ、別にお前のためじゃなくてあたしのためなんだから! 勘違いしないでよね!」(※イメージです)とアメリカに歩み寄る姿勢を見せました。

アメリカもアメリカで、この頃になるとベトナム戦争に対する国内外の批判&軍事費の圧迫など問題が山積みだったので、「アンタがそう言うなら話を聞いてあげてもいいわよ! これはあくまであたしのためなんだから!」(※イメージです)となり、デタントと呼ばれる一時協調路線がとられます。その一環がアポロ・ソユーズテスト計画でした。

・ISSのように今後は平和の象徴になれば……
同計画は、アメリカのアポロ18号とソ連のソユーズ19号がドッキングし、「敵国同士」の宇宙飛行士たちが協力して宇宙での実験や観察を行ったというものです。「国際関係の改善には役立ったが、技術的な意味はほとんどない」ともされていますが、イメージ戦略は大事ですからね。

しかし、デタントの頃には他の国も宇宙開発を始めており、もはや米ソが競争をする意味はなくなり始めていた頃でもありました。そこで両国内部で計画の見直しや中止が相次ぎ、アポロ・ソユーズテスト計画を最後に「競争」は終わったとも見られています。

ただし何も効果がなかったかというとそうではなく、宇宙開発競争で培われたさ数多の技術は両国のみならず世界中の日常生活に溶け込みました。アメリカは電子工学やロボット技術、ソ連=ロシアはロケット技術において他の追随を許さぬ位置であり続けています。

現在は日本ももちろん人工衛星打ち上げ技術を持っていますし、他の国や民間でも緩やかな宇宙開発競争が行われていますね。今イヤな意味で熱いのは中国とインドあたりでしょうか。宇宙旅行や他の星との連絡はまだまだ先になりそうですが、今後は国際宇宙ステーション(ISS)のように、平和の象徴として協力することのほうが増えるといいですね。

https://youtu.be/6UV1WABqLTM

執筆: 武将ジャパン

もっと詳しく読む: バズプラスニュース Buzz+ http://buzz-plus.com/article/2015/09/01/apolo/

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