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人間発電所、鉄の爪、生傷男等レスラー呼び名は東スポの創作

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 ジャイアント馬場とアントニオ猪木、ふたりのスーパースターの活躍を軸として日本プロレスの軌跡を振り返る、ライターの斎藤文彦氏による週刊ポストでの連載「我が青春のプロレス ~馬場と猪木の50年戦記~」。今回は、昭和42年にジャイアント馬場とアントニオ猪木のふたりがタッグを組み、無敵の“BI砲”と呼ばれ、日本中のプロレスファンを熱狂させていた時代を追う。

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 馬場と猪木の記念すべきコンビ結成の試合は、デビアス&ワルドー・フォン・エリックとのタッグマッチ60分3本勝負。1本目は猪木がデビアスに反則勝ち、2本目は猪木がコブラツイストでデビアスにギブアップ勝ちで、2-0のストレート勝ちを収めた(5月12日=岐阜市民センター)。

 この時代は、現在のような1本勝負ではなく、3本勝負の試合が主流で、1本目の試合開始のゴングと同時に勢いよくコーナーから飛び出していくのが猪木。野球に例えるとするならば、猪木がヒットを打って塁に出たところで馬場が打席に立ち、馬場が長打を打って猪木がホームに返ってくるというのがこのチームの基本的な闘い方だった。

 テレビ的には、大きくてどことなくユーモラスな馬場がお茶の間の人気者で、筋肉質で均整のとれた体つきの猪木は少年ファンから熱狂的な支持を集めた。

“BI砲”がコンビとして初めてチャンピオンベルトを腰に巻いたのは同年10月。ビル・ワット&ターザン・タイラーを下し、インターナショナル・タッグ王座を獲得した試合だった(10月31日=大阪府立体育会館)。

“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノ。“荒法師”ジン・キニスキー。“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリック。“生傷男”ディック・ザ・ブルーザー。

 この時代の強豪外国人レスラーには、それぞれのキャラクターにマッチしたおどろおどろしい漢字のニックネームがつけられていて、これらはいずれも駅売りのスポーツ新聞各紙、とくに『東京スポーツ新聞』プロレス班の“創作”だった。

 シリーズ興行に参加する外国人レスラーの羽田空港での来日記者会見の模様を伝えるスポーツ新聞の見出しは、“羽田に5人の殺し屋上陸!”“馬場殺す!”といった劇画タッチのもので、当時のプロレスのオーディエンスは、少年ファンだけでなく、大人のファンも、こういうテイストの記事に心を躍らせた。

 馬場と猪木の“BI砲”の代名詞となったインターナショナル・タッグ王座は、力道山の遺産であるインターナショナル王座のタッグ版として昭和41年にアメリカから“輸入”されたタイトルで、当初はフリッツ・フォン・ゲーリング&マイク・パドーシスから同王座を奪取した馬場&吉村(道明)が保持していたが、先述のワット&タイラーをワンクッションにして馬場&猪木にバトンタッチされた。

 馬場はインター王座、インター・タッグ王座の2本のチャンピオンベルトを保持する2冠王で、猪木も馬場とのコンビでインター・タッグ王座、吉村とのコンビでアジアタッグ王座(5月26日、札幌でW・V・エリック&アイク・アーキンスを下し王座獲得)を保持するタッグの2冠王。

 日本のプロレス界の絶対的エースは馬場で、その馬場を追いかける新顔の“ナンバー2”が猪木。この微妙なレイアウトが約5年間、つづいていくのだった――。

■斎藤文彦(さいとう ふみひこ)/1962年東京都生まれ。早稲田大学大学院スポーツ科学学術院スポーツ科学研究科修了。コラムニスト、プロレス・ライター。専修大学などで非常勤講師を務める。『みんなのプロレス』『ボーイズはボーイズ――とっておきのプロレスリング・コラム』など著作多数。

※週刊ポスト2015年9月4日号


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