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鉄道への奇妙な情熱と、それが呼びよせる超自然の怪異

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 グラビンスキは1910年代ごろから30年代前半にかけて活躍したポーランドの幻想小説家で、まとまっての邦訳はこれがはじめて。本書は鉄道に関連する怪異譚ばかり14篇が収められた短篇集だ。たんに鉄道を舞台にしているだけではなく、むしろ鉄道が持つイメージや鉄道が惹起する情動がメインであって、幻想や恐怖はその結果として呼びよせられているふうなのが面白い。

 たとえば、巻頭に収められてる「音無しの空間(鉄道のバラッド)」の主人公シモン・ヴァヴェラは退職した車掌だが、廃線となってそのうち撤去される予定の線路を見守らせてほしいと願いでる。やらせてくれるなら無償でかまわない。彼の情熱は度を越しており、もう列車も通らない線路の補修までおこなうほどだ。この奇矯な執着がどこかへ通じたのだろうか、ある日、列車がやってくる音が聞こえてくる……。

 この作品に代表されるように、登場人物(それがかならずしも主人公とはかぎらない)は鉄道に対する愛執や蓄念や狂気を抱えている。その向かう先や程度は作品によってまちまちだが、奇矯なことにかわりはない。

 英国SF界の重鎮チャイナ・ミエヴィルは「グラビンスキは、列車や電気といったポーランドの新時代と工業化のシンボルそのものに不気味さと脅威をこめる」と指摘する(このミエヴィルの発言も含め、現代におけるグラビンスキ評価は本書「訳者あとがき」で詳しく紹介されている)。正鵠を射た評言だが、列車や電気が新しくなくなった現代においてもグラビンスキの作品は充分に通じる。ひとの心の仄暗い部分へ訴えかける普遍性があるからだ。

 先にふれた廃線を補修しつづける男の情熱もそうだし、「車室にて」の主人公ゴジェンバの疾走への狂信もそうだ。「永遠の乗客(ユーモレスク)」のアガピト・クルチカ氏は、鉄道と旅行に取り憑かれてスーツケースを持って駅へ日参する。「機関士グロット」は機関車を走らせることが人生の目的となった機関士の物語。

 鉄道は便利な移動手段というだけではなく、スピード、エネルギー、メカニズム、重量感、あてどない旅心……などなどを刺激してやまない。「汚れ男」に登場する車掌ブワジェク・ボロンなどは、鉄道の存在意義は運行そのものであると信じており、実用本位で鉄道を利用する客に我慢がならない。車掌の職務としては本末転倒なのだが、その気持ちがひしひしと伝わってきて、読んでいてうなずいてしまう(ボロンは内田百閒のように用事もなく「ただ列車に乗るだけ」の客ならきっと意気投合しただろう)。

 これら作品で起こる超自然なできごとは、その場面だけを切りだしてしまえば怪奇小説を読み慣れた読者にとって目新しいものではないが、それと登場人物の精神性とが共鳴して、不思議な音色が生まれる。

 いちばん最後に収められた「トンネルのもぐらの寓話」は、ちょっとだけ毛色が違う。奇矯な人物が登場する点、その奇矯さが鉄道関連と結びついている点はほかの作品と共通だが、こちらの主人公アントニ・フロレクがご執心なのはトンネルで、それも列車が通過しない時間の孤独と静寂を愛している。本書のタイトル『動きの悪魔』とは正反対、いわば「寂寥の耽溺者」である。この作品がもうひとつ風変わりなのは、幽界・霊・幻覚・意識の底といったメタフィジカルな怪奇ではなく、フィジカルな怪物(クリーチャー)が姿をあらわすところだ。フロレクは保線工夫の職務を逸脱し、トンネル内の岸壁にある割れ目の奥へと入りこみ、鰭手と山椒魚じみた尾を備えた穴居人と遭遇する。香山滋か小栗虫太郎の小説に出てきそうな亜人種だが、その存在根拠は生物学的というよりも神秘哲学的で、作者グラビンスキの関心がうかがえて興味深い。そして、両生類化した穴居人の存在そのものが、フロレクの寂寥偏愛としっくりなじむ。

 本書に付された芝田文乃さんの「訳者あとがき」によれば、グラビンスキは1936年に病歿し作品もしばらく埋もれていたが、1960年前後から慧眼のひとたちの手によって再評価がはじまったという。そのひとつに〈スタニスワフ・レム推薦〉叢書の一冊として1975年に刊行された短篇集がある。叡智の巨人レムがグラビンスキをどのように評価したか、大いに気になるところだ。

(牧眞司)

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