体験を伝える―『ガジェット通信』の考え方

面白いものを探しにいこう 本物を体験し体感しよう 会いたい人に会いに行こう 見たことのないものを見に行こう そしてそれをやわらかくみんなに伝えよう [→ガジェ通についてもっと詳しく] [→ガジェット通信フロアについて]

都内で富士山パワーを存分にいただく「富士塚」登山のススメ

生活・趣味

神社に行った時に、境内の奥深くにゴツゴツとした岩が盛られたようなモノがある……そんな光景を見かけたことはありませんか?

実はそれ、ミニチュア版の富士山なんです。よーく見るとその小さな”こんもり”には細い道がついていて……今日はそんな簡単に近所でお参りできる上に、ご利益満載といわれる不思議な塚「富士塚」についてご紹介します。

富士塚は庶民の夢と希望の象徴だった
富士塚とは、富士山を模して作られた人造の小さな山です。表面を富士山から運ばれた溶岩(黒ボク石)で固め、合目を表した参道を作り、頂上には祠や石碑を拝して本物の富士山のリアルさを追求しています。

今でも富士山といえば日本の象徴の1つですが、もちろん日本人は縄文時代の昔から、富士山を神として崇めてきました。その富士山信仰の象徴が今でも静岡県と山梨県に存在している浅間神社です。特に静岡県の富士山本宮浅間大社は、富士山の八合目より上が富士山本宮浅間大社の敷地で、頂上には奥宮が鎮座します。富士山は霊山であり、その恩恵を手軽に近所で受けられるようにと作られたのが各地の神社にある富士塚なのです。

江戸時代には「富士講」と呼ばれる「富士山詣ツアークラブ」のようなものが大流行しました。富士山巡礼の旅は高額の費用と多くの日数が必要だったため、講と呼ばれるグループを作って皆で会費を貯め、グループの数人を代表として富士参拝に行かせ皆でご利益を分けあうものなのですが、その信仰の証として、全国に浅間神社の系譜をもつ神社やミニチュアの富士山が作られました。

そして富士山の山開きの日に合わせて小さな富士塚を登ることで、富士山と同じ霊験を得られるとしたのです。そんな富士塚は、江戸時代から人々に「お富士さん」と呼ばれて親しまれました。

江戸時代に流行した「講」で1番有名なものは伊勢講です。この講というシステム、メンバーの全員に参拝の順番が回ってくるようになっていて、会費さえ払っていれば、いつかは皆の出しあったお金で自分も憧れのお伊勢参りができるという素晴らしいシステムであったわけです。

庶民にとって伊勢や富士山への参拝は、一生に一度と憧れる旅。三丁目の夕日世代にとって、ハワイ旅行のような位置づけであったとしたら、富士塚はただの信仰の対象を越えて、庶民の夢の象徴であったのかもしれません。

都内に現存する代表的な富士塚「江戸七富士」
富士塚の始まりは安永9(1780)年。その「富士講」の教祖的存在であった食行身禄(じきぎょう みろく)の弟子、高田藤四郎が、老若男女全ての人が富士山詣をできるように、現在早稲田大学9号棟のある場所に作った高田富士が、その始まりと言われています(現在は近隣にある水稲荷神社に移築)。

江戸当時はこの高田富士を合わせ、市中にある代表的な富士塚は「江戸八富士」と呼ばれて厚い信仰を集めていました。

造営時は頂上から本物の富士山が見えるように作られたそうですが、残念ながら今は高い建物に囲まれその眺望は失われてしまいました。

それでも現在も都内には60位上の富士塚が残っていて、その主だったものが「江戸七富士」。全てが当時のままのもので、7月1日の富士山の山開きに合わせて公開されるものもあります。

以下がその江戸七富士です。

・品川富士 都内最大 (品川神社)
・千駄ヶ谷富士 現在都内最古 都の有形民俗文化財(鳩森八幡神社)
・下谷坂本富士 国の重要有形文化財 (小野照崎神社)
・江古田富士 国の重要有形文化財 (茅原浅間神社)
・十条富士 (富士神社境内)
・高松富士 国の重要有形文化財 (富士浅間神社)
・音羽富士 (護国寺)

1 2 3次のページ
GOTRIP!の記事一覧をみる
  • 誤字を発見した方はこちらからご連絡ください。
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちらから
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。
GetNews girl / GetNews boy

オスカー2018年晴れ着撮影会