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元祖甲子園のアイドル・太田幸司氏 当時の人気を振り返る

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 今夏の甲子園は早稲田実業の怪物1年生・清宮幸太郎フィーバーが必至だが、「元祖・甲子園のアイドル」といえば三沢高(青森)の太田幸司氏である。1968年夏、1969年春と甲子園に出場したが、人気に火をつけたのは1969年夏の決勝、松山商業(愛媛)の熱戦だろう。延長18回と、翌日の再試合を1人で投げ抜き準優勝。美少年エースの熱投に日本中の女性ファンが熱狂した。太田氏が当時の人気を振り返る。

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 3年の夏は大阪入り早々、宿舎の周りに数人の女子高生が集まり、塀を乗り越えて宿舎に侵入する騒ぎがあった。それで僕たち三沢ナインは外出禁止になり、期間中は宿舎と甲子園球場の往復だけでした。

 準決勝と決勝では、甲子園の行き帰りのバスに乗り込むのも大変なほど人が集まったのを覚えています。決勝では私だけ別の車で甲子園入りしました。チームメートはファンの多さに喜んでいましたね。ただ人気の中心が私だということは、自分でもまだわかっていませんでした。

 フィーバーのスイッチが入ったのは、やはりあの延長18回の決勝戦だったと思います。三沢に帰ると毎日、膨大な量のファンレターが届きました。段ボールに何箱というレベルです。郵便物は『青森県・太田幸司様』だけで自宅に届いていましたからね。両親が毎日、ファンレターと普通の郵便に仕分けをするのが大変でした。

 その後も騒ぎは大きくなる一方だった。決勝直後から日本代表として1か月近くブラジル遠征に行ったので、帰国する頃にはさすがに収まるだろうと思っていたら大間違いでした。自宅や学校にやってくる女性ファンは後を絶たず、中には「大阪から家出してきました」という女子高生もいました。

 秋の長崎国体の時には、サブグラウンドで入場行進を待っているだけなのに、サインや写真を求める人の輪ができた。宿舎にも大勢の人が押し寄せたりして大パニックになりました。

 この「延長18回」が人生を変えたのは事実です。色んな大学から誘われたし、プロも西鉄以外の全球団が挨拶に来た。あんなに騒がれず、プロから指名されていなければ、普通に大学に進学する予定でした。

「元祖・甲子園のアイドル」といわれますが、私は自分以降のアイドル選手とは少し違うと思っているんです。私は大会中に自然発生的に女性ファンが増えていったが、その後は大会前からマスコミが特定の選手にスポットを当てるようになった。

 私の翌年は「二代目コーちゃん」として箕島(和歌山)の島本講平が騒がれましたし、定岡正二や“バンビ”坂本佳一……。甲子園では、毎年スターを作らないといけないという方向に進んでいったように感じます。それで人生が変わってしまった選手は多いでしょうね。

●太田幸司(おおた・こうじ):1952年、青森県生まれ。1968年夏、1969年春・夏と3大会連続で甲子園出場。1969年夏は松山商と決勝での延長再試合の死闘を繰り広げる。プロでは近鉄、巨人、阪神で活躍。

※週刊ポスト2015年8月14日号


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