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【完璧】実写映画『進撃の巨人』は意外にも良作だった! 良作である5つの理由

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人気漫画を原作とした実写映画『進撃の巨人 ~ATTACK ON TITAN~』。壁に囲まれた街に「謎の巨人たち」が現れ、人間を捕食していく。そんな状況下で生き抜くため、繰り広げられる人間模様。いまだかつてない世界描写と、迫力ある戦闘描写。細部にわたり、観る者を惹きつける魅力ある作品である。

・絶賛の声も上がっている
しかしながら、インターネット上で酷評の嵐となっており、「ゴミ映画」とまで言われる始末。だが、本当に駄作なのかといえば、決してそんなことはない。酷評の声ばかりがクローズアップされがちだが、批判と同じくらい、いや、それ以上の絶賛の声も上がっているのだ。

・飲み込んで消化できたかどうか
とはいえ、駄作と思われてしまうポイントがあるのも事実。そのポイントを鑑賞者が「飲み込んで消化できたかどうか」で、駄作と感じるか、良作と感じるか、大きく感想が二分する。今回は、せっかくの良作なのに「駄作だと思われてしまう3つのポイント」を解説したいと思う。

これ以下、ネタバレを豊富に含むのでまだ観ていない人は読むべきではない。しかし、駄作ではなく良作として作品を観たい気持ちがあるならば、鑑賞前でもあえて読むのもアリかもしれない。

・駄作だと思われてしまう3つのポイント
1. キャストが日本人
日本にはSFアクション映画が少なく、そのほとんどが欧米の作品である。それゆえ、このジャンルに対する欧米的なイメージが日本人には刷り込まれており、日本人が演じていることに対して違和感を受けるのである。

また、日本人はこのような映画に「リアルな非現実性」(完璧に作られたフィクションの世界)を無意識に求めており、キャストが欧米人であればフィクションの娯楽作品として楽しめるが、日本人のキャストということで、悪い意味での身近さを強く感じてしまう。「学芸会」のような印象を持ってしまうのだ。もちろんこれはフィクション映画なのだが、それを「わざとらしい茶番」のように受け止め、鼻で笑ってしまう心境に陥る。観ているだけで、とても恥ずかしい心境になってくる。

このような現象は、『宇宙からのメッセージ』や『リターナー』でも発生している。映画自体は良くできているが、キャストが日本人ということを受け入れられず、駄作扱いされている。この問題の始末が悪いのは、鑑賞者が「キャストが日本人だから拒否してしまっている」ということを自覚していない点だ。無意識のうちに悪い印象が芽生え、内容すべてを受け入れられず、駄作とみなしてしまう。

2. 原作からかけ離れすぎたキャラ設定
おそらく、スタッフは「映画は映画で割り切って漫画とは違う物語を描こう」という考えのもと、この映画を作ったはずだ。その手法は何も間違っていない。良い意味で原作ファンの期待を裏切る結果になれば、場合によっては原作を超える絶賛の声を得られる。しかし、キャラクターの名前をそのままに、日本人をキャストとして迎え、性格も変更してしまった点に難があった。

キャストが日本人という時点で、ほとんどの鑑賞者は違和感を受ける。しかし観続けることによって自然と馴染み、受け入れ、その世界を楽しめるようになる。その流れは間違っていないし、正解だと思われる。それならば、キャラクター名も完全にオリジナルにすべきだった。この映画は、名前に固執しなくとも、ストーリー展開や描写になんら難はない。むしろ、なぜ原作と同じ名前にしてしまったのか、その点が惜しい。

鑑賞者が疑問に思うポイントを増やしてしまったのだ。それゆえ、たとえ素晴らしい展開でも受けれいることができず、理解のキャパシティが崩壊してしまったのである。原作の世界観を使い、まったく新たしい日本を舞台とした『進撃の巨人』としていれば、評価も変わったかもしれない。

3. 意外性が変な方向に
突如として発生するラブシーン。多くの鑑賞者が衝撃を受けたようで、笑っていいのか、ショックを受けていいのか、こういうときどんな顔をすればいいのか、非常に迷ったようだ。この作品に似つかわしくないラブシーンが挿入されたため、「キャストが日本人」「原作からかけ離れすぎたキャラ設定」という違和感に拍車をかけたわけだ。

日本映画にはときとして生々しいラブシーンが入る。欧米の映画も帰すシーンが多々入るが、生々しく感じないのはなぜかといえば、日本人にとって欧米社会が非現実的な世界だからである。重ねて言うが、日本人が演じるラブシーンは、より生々しく映る。意外性としてはアリな展開だが、鑑賞者はすでに違和感のダブルパンチを食らっている状態であり、このラブシーンを受け入れられる許容は残っていない。

・駄作から良作へ
上記が「良作なのに駄作だと思われてしまう理由」だ。では作品として「なぜ良作といえるのか?」を解説していきたいと思う。おそらく、上記と下記を呼んでから改めて作品を観ると、大きく印象が変わるはずだ。もちろん、駄作から良作へと。

・良作である5つの理由
1. 冒頭で完璧なキャラクターの性格描写
映画の冒頭十数分で、複数いる登場キャラクターの性格を一気に理解させることに成功している。性格をハッキリさせることで強い印象を与え、「あれ? こいつ誰だっけ?」という忘却をいっさい起こさせない。

2. 閉所と密集から生まれるリアリズム
密集した街と狭い通路、そして満員電車のように人と人が重なり合い、押し合い、逃げ惑う描写。予算の関係で大それたセットは作れないにしても、そのネックをプラスに変えて「巨人から逃げたいけど逃げられない恐怖」「次々に理不尽な捕食で肉体を裂かれていく人間」を完璧に表現している。

3. スプラッターで痛みと恐怖を表現
単に残酷なシーンを連発するだけなら、不愉快なだけで終わる。しかしこの映画では、「残酷」から「痛み」が伝わり、そこに「理不尽」と「緊張」を付加することで、巨人の恐ろしさをリアルに表現。グロテスクシーンを適所で生かし、いつの間にか鑑賞者は「壁の中で生きる住人のひとり」としてスクリーンの中に入り込んでいる。見事としか言いようがない。

4. ラブシーンの存在
ラブシーンの表現には賛否両論があるし、事実、駄作と思われてしまう原因のひとつになっているのは否めない。しかし、ラブシーンの描写方法は別として、この作品にラブシーンを入れたのは間違いではない。この物語を「現実離れした作品」から「リアルな痛みと苦しみのある作品」に昇華させたのがラブシーンだからだ。スクリーンの中で苦しみ続けているキャラクターたちは、我々と同じように日常を必死に生きている。その必死さを間接的に伝えてくれるのが、このラブシーンだからだ。確かにこのシーンだけ切り取って話せば「?」だが、作品全体の一部分として考えれば、「鼓動ある人間の息吹」を鑑賞者に伝えるとても重要なポイントである。

5. ベストな時点で後編へ
前編と後編に分かれている映画にありがちなのが、悪い意味で「まさにこれから! というときに後編に続く」というパターンである。意外とこれ、鑑賞者からするとストレスがたまる。確かに後編を観たいとは思うが、モヤモヤした気持ちで「続く」にするのは、作品として収まりきれなかった感があり、不満足のほうが強く出てくる。

「ここからが重要だろ!!」というシーンで終わらせることが大切だと思われがちだが、それは勘違いというもの。パーフェクトな終わり方とは、「前編は前編でスッキリ大満足させて終わらせる」というパターン。『進撃の巨人』にはそれがある。

・決して駄作ではない
ということで、『進撃の巨人』は決して駄作ではない。もちろん「駄作だと思わせた時点で駄作」という意見もあるとは思うが、すでに観た人は、上記のことをふまえ、思い返してみてほしい。


https://youtu.be/sa7LhUCiZWg

もっと詳しく読む: バズプラスニュース Buzz+ http://buzz-plus.com/article/2015/08/03/attack-on-titan-iikanji/

Via: 映画『進撃の巨人』公式サイト

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