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西郷輝彦 テーマが自分の中に入ればセリフは自然と出てくる

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 17歳で歌手デビュー、立て続けにヒット曲にめぐまれ第6回日本レコード大賞新人賞を獲得した西郷輝彦は、歌手として絶大な人気をもちながら俳優になることを望んでいた。劇作家の花登筺(はなとこばこ)との出会いにより知った演技とセリフについて西郷が語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏の週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』からお届けする。

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 西郷輝彦は1964年に歌手としてデビュー、橋幸夫・舟木一夫と共に「御三家」としてアイドル的な人気を博す。その流れで映画にも進出、1964年の東映『十七才のこの胸に』を皮切りに、自らの歌を題名に冠した歌謡映画に主演していく。

「鹿児島から出てくるのに際して、第一の目的は俳優になりたいということでした。各映画会社がニューフェイスを採用していたので学生服に坊主頭で写真を送ったのですが返信はなくて。それで、『歌をやれば、いつか芝居もできるだろう』と思って歌の世界に入りました。

 ですから、初めて映画に出るとなった時は有頂天でした。ただ、歌がとにかく忙しかったので、『二時間空いたから、その間にロケに行きましょう』と2カットだけ撮ったりという状況でして。セリフを覚える時間もないので、監督が『どうせアフレコするんだから、俺の言うとおりに言いなさい』って現場でプロンプしてもらっていました。

 当時は俳優というより、歌手という感覚でした。それでも、何が何でも、そっちの世界に行きたいと思っていましたから、歌をやっている時よりも映画の時の方が嬉しかったですね」

 西郷が本格的に役者としての意識を抱くようになるのは、1973年から三年にわたって続いた花登筐の脚本によるテレビドラマ『どてらい男』(関西テレビ)に主演した時だったという。

「花登先生から『君を主役で考えている』と本をいただき、読んでみてあまりに面白いので『ぜひやらせてください』と次の日に返事しました。この役は誰にもあげたくなかったんです。鹿児島から家出してきた自分自身と、福井の田舎から出てきて偉くなっていく主人公とが重なるところがあって、心意気が分かるような気がしました。

 もう後へは戻れない。大変な決意で臨みました。中途半端は絶対に許されない。この番組を成功させるまでは、もう絶対に歌は歌わない覚悟でした。日本中の名優がゲストで出てくださったので、毎週が演技の勉強であり人生勉強でした。

 役者だけではなくて、笑福亭松鶴師匠は本当に面白かった。セリフを覚えない方でね。現場でディレクターに『これはどないな話や』と聞いて説明を受けると、『よし、そんなら行きましょ』といきなりアドリブでセリフを出してくる。合わせるこちらは大変でした。セリフがどこで終わるか分からないんですから。でも、ディレクターは『そのシーンの基本となる精神だけキチっと伝わればいい』と。

 後で舞台化された時の花登先生もそうでした。演出が口立てで、しかもどんどん変わる。『やめよ、やめた』と一から全部やり直すんです。それも本番直前まで、十回も二十回もね。最初はメモをとっていたのですが先輩たちからは『あかん。書いてたら間に合わへん。その場でやるしかない』と。
 
 花登先生には『言葉やない。気持ちを覚えなあかん。それで自然と出てくるものが本物や』と言われました。大きなテーマが自分の中に入っていれば、セリフは自然と出てくるもんなんですよ」

■春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(ともに文藝春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社刊)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。

※週刊ポスト2015年8月7日号


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