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打撃投手から現役復帰の元猛牛戦士に一軍での活躍期待する声

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 まさかの現役復帰だ。開幕からケガ人が続出し、二軍戦に出場可能な野手が不足していたヤクルトが阿部健太打撃投手兼スコアラー(30)と育成契約を結んだ。

 阿部は2002年オフ、愛媛・松山商高からドラフト4巡目で近鉄入り。2003年の高卒1年目には完投勝利を挙げるなど2勝をマークし、将来が期待された投手だった。2004年の近鉄消滅後はオリックス、阪神を渡り歩き、2012年にヤクルトへ移籍。2013年には10年ぶりとなるプロ3勝目を挙げた。昨季限りで引退し、今季からは打撃投手兼スコアラーを務めていた。松井優典編成部長は「投手登録だが、野手としての出場の機会があるかもしれない」と話している。

 これは非常に珍しいケースだ。しかし、かつてヤクルトでは阿部のように一度引退してから、現役復帰を果たし、一軍で活躍した選手がいる。1984年の有沢賢持投手だ。

 1978年オフのドラフト会議で3位指名を受けた有沢は、日産サニーから28歳でプロ入り。プロ3年目の『’81プロ野球選手写真名鑑』(日刊スポーツグラフ特別号)を見ると、寸評欄には、〈顔は青空はるお。心は大エース? 一度はチャンスを与えたいが〉特技欄には、〈演歌絶唱。歌のうまさはファーム1の評判〉と書かれており、野球に関する言及はほぼなし。結局3年間で一度も、一軍での登板機会がないまま、1981年オフに戦力外通告となった。

 その有沢に転機がやってきたのが、引退から3年ほど経った1984年のシーズン中だった。打撃投手兼ビデオ係を務めていたが、左腕不足に悩む土橋正幸監督から現役復帰の打診を受け、受諾。同年には中継ぎとして22試合に登板。約17イニングを投げ、防御率2.60の好記録を残した。

 翌年には背番号13を与えられ、23試合に投げた。結局、故障もあり、その年限りで引退となったが、一度失格の烙印を押された投手が33歳で現役復帰を果たし、猛虎打線のランディ・バースや掛布雅之を打ち取る姿に、痛快さを覚えたファンも少なくなかった。スポーツライターが話す。

「今回の阿部の現役復帰はあくまで二軍戦の補充のためであり、有沢氏のケースとは違うかもしれません。しかし、まだ30歳ですし、現役引退から1年も経っておらず、投手として一軍出場の可能性もゼロではない。阿部は、今や数少なくなった“元猛牛戦士”。現在、近鉄出身の現役選手は岩隈久志や香月良太、藤井彰人、坂口智隆など10人にも満たない。

 近鉄ファンからすれば、阿部の復帰は非常に喜ばしいこと。近鉄が消滅したことで、野球を観なくなったファンもいる。その人たちのためにも、もう一度、一軍のマウンドに立ち、夢を見させてほしいですね」(同前)


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