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ルー大柴 低迷期は「井の中の蛙オーシャンを知らずだった」

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「トゥギャザーしようぜ!」「藪からスティック」「寝耳にウォーター」など、日本語の端々に英単語をはさむ「ルー語」でおなじみのタレント・ルー大柴(61才)。なぜルー語が誕生したのか? また、長い下積み時代や、再ブレイクのきっかけとは? ルー語全開で語られた、知られざるエピソードとは?

――ルー語はいつ誕生したのでしょうか?

ルー:亡くなった私の父が、ロシア語と英語と中国語を話せたんです。日本人ですけど。それで日本語と英語のトゥギャザーで私に接していたので、幼いころから身についていました。例えば、「このティー、ドリンクしなさい」「このストロベリー、イートしなさい」とか。非常に外国ナイズされていて、なんだこの父親はと思ったこともあったんだけど(笑い)。

 それともうひとつは、高校2年の時に、アメリカンスクールの帰国子女と交際していて、その人も日本語と英語がトゥギャザーだった。ですから私も喋るようになったし、高校卒業して欧米に放浪の旅に行ったから、帰ってきてから日本語と英語がトゥギャザーになっていたんです。

――実際のルーさんの英語のレベルは、どれくらいですか?

ルー:ペラペラじゃないですよ。頭に入っているごくわずかな、中学2年の2学期くらいまでの単語で回していますよ。それでも、やらないよりやったほうが通じるんです。外国の人と接することがサムタイムス(時々)あるわけだけど、そうやって話すと、相手もわかってくれますね。日常会話くらいは困りませんよ。

――ご家庭でも、ルー語を使っていますか?

ルー:そうですね。息子とオフン(しばしば)飲みに行ったりすると、息子もルー語を喋りますから。でもワイフは話さない。呆れていますよ(笑い)。

――ルー語は、ストックがいっぱいあるんですか? ネタ帳とか。

ルー:日々スタディーですね。映画を見ていると、字幕があるじゃない。使えるかなとか、あります。ネタ帳はありますよ。たまに見て、フォゲットしないようにしています。

――ルー語は、英語の勉強にも役立ちそうですね。

ルー:TOEIC対策を教えてる先生が、日常会話に英単語を混ぜるルー語は、英単語を覚えるのに有効だと言っていましたよ。みなさんにもルー語をどんどん話してもらいたいですね。外国人は、英語を喋ったらブロークンでも聞いてくれますよね。心が通じあうじゃないですか。そこがベリーインポータントなんです。カーリッジ(勇気)を出さなきゃね。

 これからはグローバル社会。東京オリンピックもあって、外国の人がたくさん来るわけだから。ルー語から始めて、英語がペラペラ? になってもらいたいなと思います(笑い)。

――再ブレイクのきっかけもブログのルー語でしたね。

ルー:ブログを始めて、「藪からスティック」「寝耳にウォーター」とか書いていたら、ファイヤーがついちゃったんです(笑い)。高校生とか大学生が面白がってくれて。そのとき、勝手にルー語と名付けられたんですよね。

――ブレイクしてから再ブレイクまで10年近くありますが、その間にご苦労されたことは?

ルー:40代の頃ですね。いくつもレギュラー番組があったのに、ひとつ減りふたつ減り、ある日、まったくなくなってしまった。その後は舞台をやったりして、なんとか食べていたんですけど、自分自身も、あのルー大柴のくどいキャラクターに疲れていたんですね。だから全く違う方向にいきたいなと思っていたんですけど、過去の成功体験が邪魔をして、なにをしていいのかわからなくなっていたんです。

 50才くらいになって、今のマネジャーになったのがターニングポイントです。「こんなことをやっていたらダメだ」ということで、それから二人スリー脚でやり始めたんですよね。今までのルー大柴は捨てて、ニュー・ルー大柴に変わりましょうよと。

――具体的に、どんなことをされたんですか?

ルー:「ルーさんは英語と日本語をトゥギャザーできる」など、彼は私ができることを書き出したんです。引き出しがなかったから広げて、色々と勉強しましょうと。50才をすぎて再ブレイクなんて奇跡ですよね。ひとつひとつの仕事を、身をパウダーにしながら、ライフ懸命やるということですよ。それで少しずつ築いてきたんです。

 遅咲きで34才でブレイクしたときは、誰でもかかるはしかのようなもので、周りを意識しなかったんです。今考えると、台本をじっくり読まなかったり、準備を怠っていました。それを全部やるようになったんですね。インターネットで色々な社会情勢を調べるようになったりね。

――ニュー・ルー大柴さんは、まさに身をパウダーにしているんですね。

ルー:そう。今のマネジャーと一緒に仕事を始めた頃、若手と同じ楽屋になったことがあったんです。今までそういうことがなかったから、「どういうことだ」とマネジャーに言ったら、「今のルーさんの立場はこんなもんです。1人部屋になるように、もう1回努力しないといけません。頑張りましょう!」と言ってくれたんです。グサッときたけど、そうなのかって。井の中の蛙オーシャンを知らず、ってあるじゃないですか。こういう職業をやっていると、ちょっと生ぬるいところがあったりしたんだろうけど、これが現実なんだと。

 それからは、見た目もベリーインポータント(とても重要)だから、スタイリストを頼むのをやめて、自分たちでファッションを勉強しています。今日の服装も、自分で決めました。軽装ですけどね。

――テレビに出はじめの、『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京系)の頃は、脱いだりもしていたのに。

ルー:昔は、藁にもすがる思いでしたから。まずルー大柴を覚えてもらおうという。だから公園で海パンになったりして。江頭 2:50の前にやっていたんだけど、誰も知らないよね(笑い)。

――最初のブレイクのきっかけは、関根勤さんのラジオのお誘いからですよね。

ルー:これも奇跡なんですけどね。私がまだ芸能活動では食べていけなくて、モデルのようなものをしながら、業界に配るパンフレットを作ったんです。そうしたら、関根勤さんがそのパンフレットを見つけて、小堺一機さんと一緒にやっているラジオ番組に持っていった。私の、あまりにもひどい写真が載っていて、小堺さんは椅子から落っこちるほど笑ったんですね。

 そこから関根・小堺を笑わせるルーというのは誰だと、リスナーからハガキがいっぱいきたんです。それでラジオに出演しないかと、関根さんから電話があったんですね。「1回だけ、俺が責任取るから」って。それで出演したら、プロデューサーたちの目にとまって、深夜テレビの仕事が増えて、『EXテレビ』(日本テレビ系)に抜擢されてやるようになったんです。あの時声をかけられなかったら、今の私はいなかったかもしれませんね。

【ルー大柴】
1954年1月14日生まれ。東京都出身。高校卒業後、欧米をヒッチハイクで放浪。帰国後、俳優を志す。長い下積みを経て、1990年代前半に独特の濃いキャラクターでバラエティーでブレイク。一時期露出が減っていたが、2007年にブログのルー語が女子高生の間で話題になったのをきっかけに、再ブレイクを果たした。現在は俳優やタレント活動のほか、ノーベル平和賞を受賞した環境活動家ワンガリ・マータイが提唱したMOTTAINAIプロジェクトに賛同し、ボランティアや講演を行うなど、活躍の場が広がっている。山野美容芸術短期大学客員教授、遠州流茶道師範でもある。

撮影■田中麻以


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