「大事なのは何を表現するか、聴く人に何を伝えられるか」――左手のピアニストが語る

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「大事なのは何を表現するか、聴く人に何を伝えられるか」――左手のピアニストが語る

 左手だけでピアノを弾き、世界中の観客から拍手喝さいを受ける日本人ピアニストがいるのをご存知でしょうか。
 舘野泉さんです。
 舘野さんは来年80歳を迎えるベテランピアニスト。2002年、デビュー40周年記念コンサートツアーの終盤のコンサートの最中、脳溢血となって右半身不随となります。しかし、懸命のリハビリによって復帰。今もなお活躍し、人々の心を惹きつけるピアノを奏でています。
 『命の響』(集英社/刊)はそんな舘野さんによる自伝。半生や病気のこと、そして音楽との向き合い方などがつづられており、その一つ一つの言葉に感銘を受けてしまいます。

 今回、新刊JPはそんな舘野さんにインタビューを敢行。お話をうかがいました。前編に引き続き、その後編をお届けします。
(新刊JP編集部)

 ◇     ◇     ◇

――左手一本で見つけた「音楽の本質」とは、いったいどのようなものだったのでしょうか?

舘野:左手だけで演奏するようになって、「両手でピアノを弾いていた60年間、僕は自分の左手をなんて粗末に扱っていたんだろう」と思いました。その気になれば左手は、それこそ両手でもできないことを見事にやってのける力を秘めていたんですから。
たとえば、カッチーニの『アヴェ・マリア』という曲は、一本の手で一音一音と対話するように丁寧に音をたぐりよせていったら、初めはただの音符に過ぎなかった音が歌い始めました。波がたゆたうような、独特のうねりが生まれた……。コンサートのアンコールで、よくこの曲を弾きますが、日本でも海外でも、涙を流す方が多いですよ。
音楽をするのに、手が一本だろうと二本だろうと関係ありません。大事なのは、何を表現するか、聴く人に何を伝えられるか。右手が動かなくても、思考や感覚は自由に羽ばたきます。右手の自由を失ったことで逆に、一音一音の大切さ、一つ一つの音にどれほど深い思いと幅広い表現を込められるかがわかってきました。両手で弾いていたとき以上に、音楽に直に触れられていると、日々感じています。

――ステージ上にあがったとき、どのようなことを考えてピアノを演奏しているのですか?

舘野:なんにも考えていません(笑)。最初の一音を弾いた瞬間から、その音楽の世界に入り込んでしまいますから。
僕が心がけているのは、ただニュートラルでありたいということだけ。自分の型みたいなものを決めて完璧を目指したり、意識的に前と違う弾き方をしようと思ったりはしません。作曲家の生涯や、曲が誕生した背景も考えない。演奏を通して自分の個性や考えを主張したいという気持ちも、まったくありません。よけいなものを全部取り払って、ただひたすらピアノと、音楽と、聴衆と対話していくんですね。
音楽というのは生きものです。特にコンサートの場合は、聴衆と演奏者が呼応し合うことで生じる変化が加わります。ピアノの状態、会場の音響や大きさ、天候などによっても感じ方が異なる。どんな演奏も一回限り、そのときだけのもの。音楽は流動的で、変化し続けるものだからこそ、永遠に生き続けることができるんじゃないでしょうか。

――舘野さんにとって、人生において一番大切なものはなんですか?

舘野:難しい質問ですね。妻のマリアや子どもたち、孫たちも大切だし、かけがえのない友人もたくさんいます。ピアノの演奏だけじゃなく、読書や自然の中で過ごすことも大好きです。大切なものに優先順位なんかつけられませんよ。
ただ、マリアや息子のヤンネにもよく言われますが、音楽がなければ生きていけない人間だということは確かでしょう。音楽は、僕にとって呼吸であり、人生そのもの。死ぬ瞬間まで、音楽を通して人と心を通わせ続けたい。世界と一つに溶け合っているような、あの喜びを味わい続けたい……そう願っています。

――80歳を迎える2016年11月10日に東京オペラシティでコンサートを行うとのことですが、どんなコンサートにしたいとお考えですか?

舘野:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団とコンチェルトを4曲やります。「オーケストラとの共演は2曲だって大変なのに、無謀だ」と忠告されましたが、楽な道よりワインディングロードを選びたくなるのが僕の性分(笑)。大変だからこそ、やりがいがあるし、やっていて面白いんですよ。
4曲のうち2曲が、僕のためにつくってもらったピアノ協奏曲です。11年前に復帰した当初、弾きごたえ、聴きごたえのある左手用の曲は、ごくわずかしかありませんでした。それで、世界じゅうの作曲家に委嘱し、新しい作品を書いてもらうことにしたんです。2015年4月の段階で、すでに66曲。今も次々に新作が生まれています。

――舘野さんが一番好きな言葉はなんですか?

舘野:母がよく口にしていた、「はみ出すくらいが面白いのよ」でしょうか。小学生の頃、習字の授業で紙からはみ出すほど大きな字を書いて先生に叱られ、帰宅するたび、母はニコニコしながら、そう言っていたんです。
その後も僕は、何かにつけてはみ出してしまうので、みんなから「舘野くんは常識がない」とあきれられていました。でも、そんな母と、やはり枠に収まる必要などないと考える父のおかげで、いつも人生で大きな心の空間を持てた。自分が人と違うことにコンプレックスを感じることなく、むしろ、人と同じじゃつまらないと思うようになった。のびのびとはみ出し続けることがてきたからこそ、今の僕があると感謝しています。

――本書をどのような人に読んでほしいとお考えですか?

舘野:この本のサブタイトル――「左手のピアニスト、生きる勇気をくれる23の言葉」は、編集者がつけてくれました。生きる勇気なんておこがましい気がしますが、今、何か大きな苦しみを抱えている人、希望を失ってしまいそうな人たちが読んで、ほんのちょっとでも元気になってくれたなら、すごくうれしいですね。

(了)

●コンサート情報
11月10日に「79歳バースデー・コンサート」をヤマハホールで開催予定。共演は草笛光子さん。
問い合わせは ジャパン・アーツぴあ:03-5774-3040


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