イーガンに先駆けて自由意志を主題化した傑作「仮面(マスク)」を含むベスト選

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イーガンに先駆けて自由意志を主題化した傑作「仮面(マスク)」を含むベスト選

『ソラリス』の文庫化、『泰平ヨンの未来学会議』改訳につづき、ファン待望の一冊が出版された。欣快! 

 このベスト選の成りたちはちょっと変わっている。本国ポーランドの読者投票によってレム短篇の人気作を選び、その結果とレム研究家イェジイ・ヤジェンプスキの評価を摺りあわせて暫定リストがつくられた。そして最後に、レム自身が好みでない作品を落とし偏愛する作品をつけくわえ、「ベスト15」が編まれた。原著は15篇収録だが、そのうち既存日本版で入手容易なものを省いたのが、この日本版『短篇ベスト10』だ。

 10篇のうちわけは、《泰平ヨン》シリーズが4篇、《ツィベリアダ》(『ロボット物語』『宇宙創世記ロボットの旅』)が4篇、連作『宇宙飛行士ピルクスの物語』から1篇、どのシリーズにも属さない独立した作品が1篇。

 ちなみに日本版で省かれた5篇は、架空の書物についての書評集『完全な真空』に収録の4篇(邦訳は国書刊行会)と、『泰平ヨンの未来学会議』(邦訳はハヤカワ文庫の一冊本だが、このベスト選では短篇の扱い)である。

 さて、本書で最大の目玉はどのシリーズにも属さない「仮面(マスク)」だろう。旧訳は30年以上前に〈SFマガジン〉に掲載されたきりだったので、それが読めることがまず貴重だが、内容的にも見逃せない。破格の小説なのだ。

 語り手のわたしが「意識を得る」時点から物語ははじまる。あるいは「意識を取り戻す」かもしれないが、過去の記憶に言及がないまま純粋な一人称で語られるので区別がつかない。ジェイムズ・ジョイスが試みた脈絡なく想念を連ねるスタイルほどではないが、わたしの視点から切りとった世界と脳裏に浮かぶ感覚や感情が、突きはなした筆致で綴られていく。わたしは自分が女性だと自覚し、わたしを知っているのは国王だけだと感じる。「わたし自身すら知らないわたしのことを国王は知っている」—-しかし、なぜそう感じるかはわからない。

 作品の序盤で、わたしは宮廷の優雅な集まりで、若い賢人と出会って恋仲になる。ここまでの展開で不可解なことは何ひとつ起きないのだが、読者はまるで霧のなかを進むような印象を持つ。わたしが何者なのかはわからないし、周囲の状況もわたしの感覚を通してしか知りえないからだ。文章だけではなく、わたしのふるまい自体が離人症的だ。

 それがある晩に一変する。わたしは自分へナイフを差しこみ、ついに本当の自分と直面する。そして、自分がこの世界にいる理由を知る。この場面の強烈なイメージは、まるで神話を題材にしたシュルレアリスムだ。ここは物語が激しく転調する急所でもある。それまでの「意識の流れ」の記述の背後には、じつはSFの大仕掛けが隠されていたのだ。

 ここを境にプロットは直線的に加速する。世界の霧がいきなり晴れ、圧倒的な力とスピードの追跡劇がはじまる。これがレムの作品かとちょっと驚く。

 しかし、その先にもっと大きな驚きがある。物語はもう一段の転調を経て、メインテーマとして自由意志が前景化される。それは「しあわせの理由」でグレッグ・イーガンが言いあてたものと同等なのだ。「しあわせの理由」の発表は1997年、「仮面(マスク)」は1974年。これはレムの先見性というよりも、彼が人間意識を徹底的に考えているがゆえだ。

 ちなみに沼野充義氏の解説によれば、「仮面(マスク)」は読者投票では順位は低かったものの、レムとヤジェンプスキが強く推して本書に収録されたという。たしかに初読では取っつきにくい小説かもしれない。しかし、いったん通読をし、ふたたび頭から読み直せば随所にさりげない伏線、のちの場面と呼応するひそやかなモチーフが凝らされていることに気づく。その精緻な作品構成と肌理も素晴らしい。

 ついつい「仮面(マスク)」一篇だけでずいぶん枚数を費やしてしまったが、それだけ読み応えのある傑作なので、ご容赦。

 このほか、科学のフレイバーがはじける冒険神話「三人の電騎士」や、呪術が物理へと転換する超絶知的ブラックユーモア「A・ドンダ教授 泰平ヨンの回想記より」、ウルトラビターな宇宙SF(むしろ船乗り小説といったほうがよいかも)「テルミヌス」など、さまざまなレムが味わえる。新しい読者はこれをきっかけとして、個々のシリーズや連作へ手を伸ばすのもいい(新刊で入手できない本がけっこうあるのが残念だが)。また、レムの翻訳はすべて読んでいるよというベテラン・ファンも、本書はすべて新しく訳を起こしているので気分を変えて再読できる。《泰平ヨン》と《ツィベリアダ》を取りあわせて読むと発見があるかも。

(牧眞司)

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