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ジャニーズ隆盛の礎を築いた田原俊彦 今なお光る功績の数々

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 ジャニーズ事務所所属タレントの隆盛が続いている。近藤真彦(50)は50~54歳の部でトライアスロンの日本代表に選ばれ、SMAP木村拓哉(42)の主演ドラマ『アイムホーム』(テレビ朝日系)や嵐・相葉雅紀(32)主演の月9ドラマ『ようこそ、わが家へ』(フジテレビ系)も好調な視聴率推移を見せている。歌やドラマだけでなく、SMAP中居正広(42)やV6井ノ原快彦(39)などはバラエティ番組の司会者としても確固たる地位を築いている。

 この“ジャニーズ隆盛”の流れを作ったのは、1979年『3年B組金八先生』の生徒役として出演した田原俊彦、近藤真彦、野村義男の“たのきんトリオ”だ。古参の芸能記者が話す。

「1975年に郷ひろみが他事務所に移籍して以降、ジャニーズは苦境に陥っていました。その状況で、たのきんトリオは事務所にとって、まさに救世主でした。その後、ジャニーズ事務所の隆盛は、今に至るまで続いています」

 3人はレコードデビューも果たし、冠バラエティ番組『たのきん全力投球!』(TBS系)ではコントも披露。1980年代、田原と近藤の2人は常に音楽番組のランキング上位に顔を出していた。

「当時の人気歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)の1位獲得回数は近藤のほうが多かったですが、田原は最多出場回数を誇り、番組には田原の名前入りのソファーが置かれるほどでした。

 また、田原はあらゆる分野で“ジャニーズ初”を記録しています。例えば、今期の月9ドラマは嵐の相葉雅紀主演で、主題歌は嵐の『青空の下、キミのとなり』です。ジャニーズタレントがドラマで主演し、主題歌を歌うという王道パターンが出来上がっていますが、起源を辿れば、1987年に田原俊彦が『ラジオびんびん物語』(フジテレビ系)に主演し、主題歌『どうする?』を歌ったのが最初。この成功が、翌年の『教師びんびん物語』と主題歌『抱きしめてTONIGHT』のヒットにもつながっています」(同前)

 ほかにも、田原の築いた道はある。1994年に木村拓哉が受賞して以降、2005年を除き、ジャニーズ勢が独占している『ベストジーニスト賞』。実は、ジャニーズで初めて獲得したのは、1986年の田原俊彦だった。

「1985年は藤竜也や森進一、1987年は所ジョージやC.W.ニコルが受賞しており、男性アイドルの受賞者はゼロ。そのなかでの受賞は価値が高い。また、ジャニーズで初めてベストドレッサー賞に選ばれたのも、1989年の田原です。その後、ジャニーズ勢では1993年に東山紀之が獲っただけです」(同前)

 木村拓哉が14年連続1位のまま終了した、雑誌『an・an』の『好きな男ランキング』(年度によっては『抱かれたい男』『寝たい男』などの名称も)も、田原俊彦という存在が大きな意味を持っているという。

「1985年は山崎努(当時49)、1986年は岩城滉一(当時34)が1位でした。つまり、年輩の俳優が獲得しており、アイドルの付け入る隙はなかった。しかし、1987年に田原俊彦(当時26)が初めて1位になったことで、女性の価値観の変化を感じさせました。その後、田原は4年連続で1位を獲得。田原がいなければ、キムタクの14年連続1位という偉業は生まれなかったかもしれません」(同前) 

 1994年にジャニーズ事務所を独立した田原。しかし、歌やドラマに限らず、あらゆる分野でジャニーズの礎を築いた事実は、今も色褪せない。


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