防災集団移転という挑戦[2] 新旧の住民が共に目指す集落の再建

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震災から4年 住民の手による集落再建 「防災集団移転」という挑戦(2)

宮城県気仙沼市で、住民主導のもと建築家など専門家との二人三脚で進められている「防災集団移転」。住民同士の話し合いによる合意形成に難しさはなかったのか。また制度として今後どのような改善の余地があるのだろうか。前の記事を読む
防災集団移転という挑戦[1] 震災から4年、住民の手による集落再建旧来の住民と新しい住民とが共に目指す「集落の再建」

住民の意向を反映した移転先の造成計画が決まると、「どの敷地に誰が住むか」も決める必要が出てきた。その「決め方」も協議会で話し合われた。

その結果、3地区それぞれが少しずつ違う方法を選んだ。あみだくじ、またはくじ引きで「くじを引く順番」を決めてから敷地番号付きのくじを引く方法。くじ引きで「くじを引く順番」を決めてから再度くじ引きをし、引いた番号順に希望の敷地を告げる方法。いずれの地区も、地権者自身が防集に参加していた場合はその希望が優先された。
抽選とはいえ、機械的に行われたわけではなかった。当日は、先に敷地を決めた人が迷っている人に「隣に来いよ!同級生同士、並んで住もう」と声を掛けるなど、同じ集落で生きてきた人たち同士の絆が感じられた。

【画像1】2013年に閉校された旧浦島小学校で協議が行われている(画像提供:JVC)

【画像1】2013年に閉校された旧浦島小学校で協議が行われている(画像提供:JVC)

また大浦や梶ヶ浦の防集には、地区外の世帯も参加することが例外的に認められた。当初参加していた世帯がやむを得ない理由でいくつか抜け、宅地に空きができたからだ。

小野寺さん:国がある程度の自由度を持たせてくれたのは、助かっています。これだけたくさんの方が被災している中で、行き場のない人も含めて一緒に新しいコミュニティをつくろうと。それに対しても予算を出していただけている。

ところで、なぜ行き場のない人たちが生まれるのか。民間主導型の防集では、移転先の土地も住民たち自らが探し、地主と交渉しなければならない。土地が見つからない、折り合いがつかない、集落の単位が大きすぎて(数百人規模)合意形成が難しい等、防集の計画自体が中止された地区もある。家庭の事情などで造成工事の遅れを待てず、やむを得ず抜ける人たちもいる。

熊谷さん:大浦ではパンフレットをつくって、そういった人たちにも「もしよかったら」と声をかけた。大浦地区でも当初参加する予定だった人たちが半分くらい抜けそうでしたし、将来的にひとつの集落を形成できるのか危機感がありましたから。

小野寺さん:過疎地域の今後のことを考えたときに、外の人を招き入れるような魅力がなければ将来はない。

熊谷さん:新しい人たちを入れていくほうが、新たな発展があるのではと考えました。防災を意識したまちづくりを

過去の災害の教訓を活かして実施された、今回の防災集団移転事業。では今回の防集から、私たちは何を学ぶべきなのだろうか?

尾形さん:小さい集落は「この集落で一地区(にまとまって移転する)」など制限もあったから、広さの都合で公営住宅を建てられなかった。それに最初に申請した戸数しか造成してもらえないから、集落に加わる世帯を増やしたくても増やせませんでした。

原則的には申請した戸数に合わせて宅地造成が行われるため、戸数が減った分は造成地全体が狭められたり、造成計画の変更を余儀なくされたりした地区もある。

小野寺さん:申請された戸数を固定するのではなく、最初にある程度の広さを確保した上で、あとから新たな人も入れるような柔軟な制度であれば、もっとよかったのではないかと思います。

また小野寺さんらは、災害の予測される地域では、あらかじめ高台などに避難先や集落の移転先を確保しておくことも必要なのではないか、と話す。

熊谷さん:地形的に平らなところがなく、山しかない。山を切り崩すには時間がかかるので、仮設住宅建設には公共施設の土地を使った。でも足りない分は民有地を未だに無料で借りている状況で、問題も起きています。

小野寺さん:震災が起きてから「造成しましょう」ではなく、危険地域に住んでいる人たちのために高台に造成地をつくり、少しずつ住宅地を移転させていくことも必要なのではないか。
当初から防災や減災の意識を持ったまちづくりを進めておけば、こういった悲劇は起きなかったかもしれません。

【画像2】完成した造成地(梶ヶ浦)を見学する3地区住民(写真撮影:hato)

【画像2】完成した造成地(梶ヶ浦)を見学する3地区住民(写真撮影:hato)

住民全員が納得して進められるよう話し合いのプロセスそのものにこだわり、時間をかけて進められてきた四ヶ浜の防災集団移転。コミュニティを長く続くものにするためにこそ、新しく入ってくる人々を歓迎するという姿勢から学ぶべきことは多い。次回(最終回)はこうした長い時間をかけ、多くの苦労を重ねながらもこの土地に残ることを選択した人々の想いを紹介する。●取材協力
・日本国際ボラティアセンター/気仙沼支援活動レポート●シリーズ第1回「防災集団移転という挑戦[1] 震災から4年、住民の手による集落再建
●シリーズ第2回「防災集団移転という挑戦[2] 新旧の住民が共に目指す集落の再建
●シリーズ第3回「防災集団移転という挑戦[3] 海のそばで暮らし続ける、ということ
元記事URL http://suumo.jp/journal/2015/06/18/92398/

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