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防災集団移転という挑戦[1] 震災から4年、住民の手による集落再建

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宮城県気仙沼市。津波で家を流され離散した沿岸部の集落が自治会などを中心に再び集まり、高台に新たな集落を再生しようとする「防災集団移転」。その取り組みと現状について紹介する。
震災後、離散した集落を再生—防災集団移転とは?

宮城県気仙沼市は「静かな入江」というアイヌ語の起源にふさわしい、美しいまちだ。しかし2011年3月11日の東日本大震災で引き起こされた津波と火災によって、沿岸部を中心に大きな被害を受けた。多くの人命が失われ、生き延びた人々も自宅と一切の家財を失った。そして先祖代々暮らした土地や慣れ親しんだ人たちと離れ、仮設住宅などでの暮らしを余儀なくされた。

こうした離散した集落を対象に気仙沼市が行っているのが「防災集団移転促進事業(以下、防集)」だ。
各集落の自治体を中心として、高台などに新たな住宅街をつくり、集落を再建する取り組み。行政の誘導型と民間主導型(住民の主導による防集)の2種類があり、住宅は融資制度の優遇などはあるものの自力再建(持ち家を建てる)。地区によっては災害公営住宅(行政の建てる賃貸住宅)が併設され、一体となって集落の再建が目指される。

土地の造成は市が手がけ住民に対し借地として提供するが、防集の申請に始まり、移転先の土地探しから街区の計画に対する住民たちの合意形成、(自力再建の場合)住宅建設に至るまで、長期にわたり住民たち自身が連帯し、主体的に活動し続ける必要がある。

今まさにこの防集に取り組んでいる、気仙沼市の「四ヶ浜」という地域を紹介したい。ちなみに筆者もまたアドバイザーチームのひとりとして、この地域の高台防災集団移転を2012年4月からお手伝いしている。

【画像1】造成中の土地で図面を確認する住民の皆さん(写真撮影:hato)気仙沼における高台防災集団移転の「いま」

防集は各地区の自治体を母体とした「協議会」によって運営されている。気仙沼市内だけで38地区にのぼるが、造成完了は震災後4年以上が経過した現在(2015年3月末)まだ18地区のみだ。

四ヶ浜はその名の通り4つの集落の集合体だ。うち大浦・梶ヶ浦、小々汐という3地区が防集に取り組んでいる。2011年7月に大浦地区で協議会が発足、梶ヶ浦・小々汐の2地区も同年冬に相次いで発足。造成予定戸数は大浦/25戸、梶ヶ浦/20戸、小々汐/12戸。大浦には災害公営住宅が併設される。

復興工事の集中による建設業者の不足もあり、造成地の工事完了までにも年単位の時間がかかる。梶ヶ浦と小々汐は2014年9月に完了し、現在、住宅の建設が始まっている。だが戸数も多い大浦は2015年9月に造成完了予定で、それからようやく住民たちの自宅の建設が始められる。すでに4年近く、この地区の防集を率先してきた大浦地区の小野寺司さん・熊谷和裕さん、小々汐地区の尾形芳夫さんに話を聞いた。

【画像2】閉校となった浦島小学校の教室で開催される協議会(画像提供:JVC)住民主導のまちづくりと、専門家のサポート

この3地区の特長として、現地で活動するNGOを通じて、住民自身の意思でまちづくりや家づくりのアドバイザーとして建築家を招いている点が挙げられる。そこにあるのは、住民たち自身の「集落を再建したい」という強い思いだ。

熊谷さん:軒数は震災前の半分以下。いちからまちづくりをしなければならないから、昔みたいな地域の行事などをひとつでも多くやっていこう、という意識のある人たちが残っているんです。

まずは大浦が先行して協議会を設立。続いて梶ヶ浦・小々汐が協議会を設立した。防集事業を行っていない「鶴ヶ浦」を含む4地区=四ヶ浜は学区が同じで、子どもからお年寄りまで皆「浦島小学校」(震災後に閉校)の同窓生。もともと地域の結束は強い。だが、避難生活で3地区同士も離れ離れになっていた。

小野寺さん:3地区それぞれの協議会の間にアドバイザーが入ってくれたので、話し合いを進める過程で地域がひとつにまとまったのもよかった。それは想定外でした。

だが協議会としては、当初からアドバイザーを入れようと考えていたわけではなかった。

小野寺さん:まず大事なのはコミュニティの再生。大学の研究組織などサポートを入れると、「自分たちでやろう」という共通認識が薄れていくのではないか、という危機感があった。だからこそ、自分たちでできることは自分たちできちんとやろうと。その上で、まちづくり・家づくりという自分たちの専門外である課題にぶつかったとき、初めて専門家の力を借りようと考えました。

【画像3】自ら作成した模型を使って説明するアドバイザーたち(画像提供:JVC)

尾形さん:震災で家を流された人たちは、みんな昔から自分たちの土地に好きな家を建ててきた。隣同士とか道路とか、気にしてきた経験もない。

熊谷さん:行政側の考え方に対して、素人である自分たちがどれだけやれるか不安があった。側溝や緑地をどうするかなど、プロでなければ対応できない。また家づくりでも、効率的にもコスト的にもよい家をつくらなければならない。「私たちの主体性を尊重してアドバイスを頂ける方を」という理由で、あくまで実務家の方たちを希望しました。

四ヶ浜に派遣されているアドバイザーたちは、ほぼ全員が建築設計事務所を経営する建築家。当初は民間の助成金などを活用しつつボランタリーに活動を続けていたが、2013年度からは「気仙沼まちづくり支援センター」の行う「専門家派遣事業」の支援を受けている。

もう一つ、アドバイザーたちの存在以上に大きいのが、2011年より現地に拠点を置いている日本国際ボランティアセンター(JVC)の職員たちのサポートだ。2〜3人前後のスタッフが常駐し、アドバイザーの斡旋や協議会運営支援など防集に関するサポートはもちろん、避難生活支援、地域産業の復興などさまざまな面で地域住民に寄り添った活動を続けてきた。

【画像4】住民・アドバイザーが一緒に模型を囲みながら議論を交わす(画像提供:JVC)

協議会ではJVCとアドバイザーチームのサポートのもと、住宅を建てる際の道路や隣地からの距離、緑地の取り方、道路の形状、道路から1〜2メートルのセットバックを設けることで街並みにゆとりを生み出す「まちづくりゾーン」など、さまざまなまちづくりルール(協定)を住民参加型で協議・検討し、取り決めてきた。

特に有意義だったのは、2013年6月に行った3地区合同による戸建て住宅地(団地)の見学会だ。大型バスで1日かけて3つの団地を巡りながら、どのような街並みが望ましいか、住民同士が活発に意見を交わした。

【画像5】2013年6月に行われた住宅地の見学会(画像提供:JVC)

熊谷さん:最大限、いいまちづくりをする。環境の良い住みやすいまちをつくるため、行政に対して意見を伝えたり交渉したりしていくときに、アドバイスをもらえたのが有難かった。おかげで満足のいく計画になった。(アドバイザーたちが)いなかったら、たぶん出来なかったと思います。

大きな被害を受け、かけがえのない命も多く失われた地域で、これだけ(被災した)住民自身の強い意志と努力によって再建が進められてきたことに驚く読者もいたのではないだろうか。

そこには「住民の意思」という、ややもすればつかみどころのないものを「まち」という具体的な形として実現していくために、あくまで住民主体でありながら専門家のサポートを取り入れるという工夫があった。

次回は住民同士の話し合いによる合意形成のプロセスや、「コミュニティの再建」という課題についても紹介する。●取材協力
・日本国際ボラティアセンター/気仙沼支援活動レポート
元記事URL http://suumo.jp/journal/2015/06/17/92334/

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